<レコチャ広場(chǎng)>日中関係の蜜月時(shí)代、再び戻る日は來(lái)るのだろうか?―中國(guó)

Record China    2013年2月10日(日) 6時(shí)45分

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8日、フリージャーナリストの程萬(wàn)軍氏は「中日の蜜月時(shí)代、再び戻る日は來(lái)るのだろうか?」と題した記事を中國(guó)のブログサイトに掲載した。資料寫真。

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2013年2月8日、フリージャーナリストの程萬(wàn)軍(チョン?ワンジュン)氏は、「中日の蜜月時(shí)代、再び戻る日は來(lái)るのだろうか?」と題した記事を中國(guó)のブログサイトに掲載した。以下はその內(nèi)容。

その他の寫真

21世紀(jì)の小泉新政権の誕生以降、中國(guó)と日本の関係は氷河時(shí)代に突入。今年は日中平和友好條約締結(jié)35周年だ。中國(guó)と日本、この2つの影響力の高い國(guó)同士は盟友なのか?それとも敵なのか?

韓國(guó)メディアによると、2008年に日本政府は中國(guó)のG8加入に強(qiáng)く反対したという。一方で、中國(guó)は日本の安保理常任理事國(guó)入りに消極的だ。このことから、両國(guó)はビジネスでつながっているものの、お互いを心の底から信用しておらず、相手を友人とみなしていないことが分かる。

宿敵でもなければ、友でもない。だから一緒に商売はできても、共に人生を歩むことはできない。これは簡(jiǎn)単に一蹴できない事実だ。協(xié)力はしても信用はしないという現(xiàn)狀を打破して、お互いを信じるようになるのは極めて困難だといえよう。これが21世紀(jì)の日中関係だ。

20世紀(jì)の日中関係は違った。特に1978年の日中平和友好條約締結(jié)後の10年間の日中関係は「蜜月時(shí)代」だった。思想の開放と経済の改革をスタートした中國(guó)にとって、日本は先進(jìn)國(guó)の見本であり、アジア一の経済大國(guó)として最も重要なパートナーだった。當(dāng)時(shí)の日本と中國(guó)の政府は歴史問題を棚上げし、日中友好に不利な話は極力避けて、共に歩む道を探る努力をしていた。

同時(shí)に中國(guó)の若者にとって日本はファッショナブルな憧れの國(guó)であったため、日本語(yǔ)學(xué)習(xí)ブームが巻き起こった。日本のアニメは中國(guó)の子供たちを夢(mèng)中にさせ、テレビドラマ「赤い疑惑」は中國(guó)全土で高視聴率を獲得。1984年10月1日には3000人の日本青年が北京に招待され、中國(guó)の若者たちと一緒に天安門広場(chǎng)で踴ったものだ。

30年たって、日中関係は大きく変わった。オバマ政権はアジア重視の外交政策をとり、日本は米國(guó)とともにアジア?太平洋戦略を展開している。中國(guó)と米國(guó)の関係が悪化したことで、日本と中國(guó)の関係もギクシャクした。しかし、両國(guó)の経済はあまりにも密接につながっているので、決別は不可能だ。昨年の反日デモで日本製品ボイコットの気運(yùn)が高まった時(shí)、前外交學(xué)院長(zhǎng)の呉建民(ウー?ジエンミン)氏は「よく見なさい!ソニー製品の95%の部品は中國(guó)製だ。ボイコットなど愚かな行為だ」と主張している。

日本の丹羽宇一郎前中國(guó)大使は離任會(huì)見で「夫婦がケンカをすれば別れることもあるが、日本と中國(guó)は別れることはできない。その関係は人間の壽命よりずっと長(zhǎng)い」と発言。「中國(guó)経済は日本の協(xié)力を必要としない」という中國(guó)側(cè)の聲を否定し、「中國(guó)が日本に學(xué)ぶことはたくさんある」と語(yǔ)った。

グローバル化が進(jìn)むこの時(shí)代に、日本と中國(guó)が経済的に別れることは不可能だが、現(xiàn)在の日中関係では互いを信用することも難しい。今、両國(guó)にとって最も現(xiàn)実的で最も成熟した関係とは、割り切った関係だ。つまり、「政治は政治、経済は経済」と分けて考えることなのだ。(翻訳?編集/本郷)

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