<日本人が見た中國>旅人が感じた、変わりゆく中國人の気質

Record China    2013年2月16日(土) 6時50分

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フレンドリーだが、マナーはなっていないイメージの中國人。しかし近年、大都市ではかなりの変化が見られる。他人に関心がなく干渉もしない、日本人のような人が多くなった気がする。寫真は中國の長距離列車で。食べ散らかしたブドウの皮が捨てられずに放置してある。

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2013年1月、中國を初めて訪れてから早10年がたつ。この年月の間に、大都市の町並みや都市間の交通は大きな変化を遂げたが、旅をしていて目にする人の態(tài)度もまた変わりつつある。

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かつて中國で列車に乗ると、必ずといっていいほど人々に話しかけられたものだ。私が日本人だと知ると、周囲は大騒ぎ。さっそく筆談が始まり、皆がにこにこしながら私に向かってうなずきかける。持っていたガイドブックは珍しがられてあちこちたらい回しにされ、ある者は知っている都市名があると目を輝かせ、ある者は「の」とはどういう意味か聞いてくる(「の」というひらがなは、中國では売り物をおしゃれに見せるために商品名などに使われている)。少し離れた場所にいてこの興奮に加われない人の中には、よほど気になるのか、わざわざ座席の上に立ってこちらを見ている人さえいた。

好奇心でいっぱいで賑やか、親切でおせっかいで自分勝手で、周りを散らかす中國人。トイレの順番を待てない中國人。寢臺車ではなく、最も運賃が安い「硬座(ハードシート)」でばかり旅をすると、こんな庶民に混じって旅をすることがとくに多かったのだろう。

このような中國人の気質に変化が現(xiàn)われているのに初めて気付いたのは、一體いつのことだったろう。確か、しばらくぶりに中國を訪れた3年前のことだった。

そのときは四川省を訪れた。記憶とは違ってすっかりきれいになった成都の町では、多くの若者がスマホを操っていた。中國といえばよく話題にされる、公共のマナーに反するような行為はほとんど見られず、実に快適に旅ができた。しかしほとんど日本と変わらなくなってしまったような人々の態(tài)度に、あまり面白みがなかったのも事実だった。日本と同じものを見るために、わざわざ外國まで來る必要はないのだから。

ところが、地方都市から成都へ戻るバスに乗ったとき、よくも悪くも私が求めていたような中國人に出會ったのだ。そのひょろっとした若者は、自分がバスのシートを倒したいがために、後ろに座っていた私に「どいてくれ」と、當然のことのように言った。腹を立てながら青年の隣に移ると、彼はまるで自分専用のバスででもあるかのように、大きく背もたれを倒して「ファー」と伸びをし、フンフンと鼻歌を歌い始めた。やがて私が外國人とわかると、矢継ぎ早にいろいろな質問を中國語で浴びせてきた。彼は湖南省の田舎から出てきて、ふるさとに帰るところなのだという。中國語が片言の私とあまり會話が続かないとわかっても、好奇心をむき出しでなかなか解放してくれそうにない。

青年の質問攻めから逃れたくてイライラしつつも、中國にはまだこういう人がいるのだなあと、心の片隅で喜んでいる自分がいるのだった。好奇心でいっぱいで賑やか、親切でおせっかいで周りを散らかし、自分勝手で順番を待てない中國人よ、永遠なれ。

■筆者プロフィール:菅沼佐和子

神奈川生まれ。2002年から約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現(xiàn)在は東京を拠點にフリーランスの旅ライター兼旅行ガイドブックの編集者として活動中。

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