<コラム>反日暴動(dòng)から7年、日中友好で植樹した桜は立派に成長した

工藤 和直    2019年4月24日(水) 21時(shí)20分

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蘇州市高新區(qū)外事弁公室の元主任「潘小江」氏から、“今年も大きくなりました。綺麗なソメイヨシノが咲きました”と寫真を添えたメールが屆いた。

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蘇州市高新區(qū)外事弁公室の元主任「潘小江」氏から、“今年も大きくなりました。綺麗なソメイヨシノが咲きました”と寫真を添えたメールが屆いた(寫真1と2)。

その他の寫真

2012年9月初、當(dāng)時(shí)の野田首相が発令した「尖閣諸島の取得所有」に対し、マスコミが「國有化」と報(bào)じた事から中國各地で反日運(yùn)動(dòng)が勃発、日系自動(dòng)車メーカー販売店や日系デパートなどが暴徒に襲われる事件が起こった。特に長沙平和堂、青島ジャスコ黃島店、蘇州イズミヤなどが大きな被害を受けた。ここ蘇州でも9月15日(土)の午後3時(shí)頃から、蘇州市高新區(qū)にある日本人街と呼ばれる日本料理屋?スナックなどが暴徒に襲われ、その勢いで近くの日系企業(yè)、そして開店営業(yè)早々のイズミヤ(泉屋)百貨店が被害にあった(寫真3)。

2012年は日中國交正?;?0年にあたり、多くの記念事業(yè)が中國各地で予定されていたが、9月15日の事件以降、すべてが中斷された。その後、日系企業(yè)では中國一極集中化を反省し、チャイナプラスワンと稱してアセアン各地の増強(qiáng)進(jìn)出に中國生産縮小と資本投下の制限が始まった。

2013年に入り、ここ蘇州でも日中友好回復(fù)に向けて“蘇州市政府と蘇州日商會(huì)で何かできないか”の模索が始まった。そこで計(jì)畫されたのが、日本桜の植樹を行い中國人?日本人とも楽しめる空間を市內(nèi)に創(chuàng)成することであった。早々に、蘇州市外事弁公室の徐主任や日本人が一番多く住む高新區(qū)の外事弁公室潘主任と數(shù)度に渡って打ち合わせを繰り返した。我々日本人側(cè)として要望したのは、1.桜はソメイヨシノであること(中國では桜は一般に八重桜)、2.中國人?日本人が多く住みすぐに來れる場所、3.桜は、街路や川に沿って並木狀にして、歩きながら參観ができる事であった。

潘主任とは候補(bǔ)の公園を何度も歩き、反日運(yùn)動(dòng)の標(biāo)的にもなったイズミヤの北にある「玉山公園」を最終的に決めた。また、當(dāng)初政府案であった小山に林のように植える方式でなく、街路の両側(cè)や川に沿って周回できるように樹木の配置を決めた。

2013年11月19日に蘇州市政府から周副市長ほか幹部の方を迎え、日本からは當(dāng)時(shí)の在上海総領(lǐng)事の小原雅博(現(xiàn)東京大學(xué)法學(xué)部教授)氏を迎え友好記念植樹式を行った(寫真4)。あれから7年、桜は大きく成長、寫真のような満開の桜並木となった。今年も多くの中國人?日本人が集う空間が出來上がった。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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