<中國(guó)人観光客が見た日本>京都と奈良で目にした「生きた化石」、私は心震えた

Record China    2019年4月27日(土) 12時(shí)40分

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25日、中國(guó)旅行大手の攜程旅行(シートリップ)のウェブサイトに、中國(guó)人旅行者による京都と奈良を訪れた感想を綴った文章が掲載された。

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2019年4月25日、中國(guó)旅行大手の攜程旅行(シートリップ)のウェブサイトに、中國(guó)人旅行者による京都と奈良を訪れた感想を綴った文章が掲載された。以下はその概要。

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20世紀(jì)最大の歴史學(xué)者、アーノルド?ジョゼフ?トインビーは著書『歴史の研究』の中で、「中華文明は形成後、周辺へと拡散し『衛(wèi)生文明』を生み出した。日本文明もそのうちの一つである」と指摘した。

これは正しく、日本文明の川は、源流をたどると中華文明という水源にたどり著く。

私が思うに、中華文明が日本文明にとって重要な源となるには2つの條件が必要であっただろう。一つは「受信者」がいること、そしてもう一つは「伝播者」がいることだ。仮に日本が外來の文明を拒絶していたら、どんな「水」や「風(fēng)」も四方を海に囲まれた日本にはたどり著けなかったことだろう。また、仮に伝える者がいなければ、海を隔ててどれだけ聲を張り上げても、文明が彼の地に根付くことはなかったに違いない。

鑑真は中華文明の伝播者として、最も繁栄していた時(shí)代の中華文明を日本に持ち込み、それは日本文明の源流となった。私は京都、そして奈良に足を踏み入れ、當(dāng)時(shí)鑑真が中華文明を伝えたその地に立ったとき、心が震える思いがした。

京都と奈良では、まるで時(shí)空を超えたかのように、華めき、賑わう長(zhǎng)安の光景が私の眼の前に浮かび上がった。私は感嘆した。1200年の時(shí)を経た今、この地は中國(guó)人がかつての中華文明の味わいを感じるための「生きた化石」となっているのだ。(翻訳?編集/巖谷)

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