1人の中國人が感じた「平成の30年」の変化―華字紙編集長

Record China    2019年5月8日(水) 16時40分

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7日、日本新華僑報は、「1人の中國人が感じた、『平成の30年』」と題する蔣豊編集長のコラムを掲載した。寫真は東京。

2019年5月7日、日本新華僑報は、「1人の中國人が感じた、『平成の30年』」と題する蔣豊(ジアン?フォン)編集長のコラムを掲載した。以下はその概要。

先月27日、日本は戦後初の10連休を迎えた。私はその前日、空路で東京から中國の海南島へ。あるネットユーザーから問われた「平成最後のウイークデーも仕事ですか」という言葉の「平成」というキーワードは、私に無數(shù)の思いを抱かせた。

1988年8月、私は中央メディアの職場を離れ、「出國ブーム」に乗って日本での留學(xué)生活をスタートさせた。當(dāng)時の日本の元號は「昭和」だ。

「あの時、公職を辭して私費留學(xué)の道を選んだのはなぜですか」とどれだけ多くの人に聞かれたことだろう。この質(zhì)問に対する答えは「貧しさ」だ。當(dāng)時の中國の國內(nèi)総生産(GDP)は日本のわずか25分の1だったという。個人的に鮮明に覚えているのは、訪中した日本人から贈られた1本のボールペン、1個のライター、1臺の電卓に中國人は大喜びしていたということだ。

1989年1月、日本の元號は「昭和」から「平成」へと変わり、今月1日には「令和」が始まった。中國で學(xué)校に通っていた頃、毛沢東主席の詩に出てくる「38年間はあっという間」という言葉を私はどうしても理解できなかった。38年は長い年月だ。しかし、日本で「平成の30年間」を経験し、本當(dāng)に「あっという間」だということが実感できた。

以前の私費留學(xué)生は日本でのアルバイトで學(xué)費、生活費を稼ぐだけでなく、中國にいる家族に仕送りもしていた。今は日本に來て1カ月以內(nèi)にアルバイトを始める學(xué)生は少ない。彼らの決まり文句は「私にしっかり勉強させようと両親は學(xué)費を全部払ってくれました。生活費は私に持たせてくれたカードから出します」だ。

「留學(xué)生が家族を養(yǎng)う」が「家族が留學(xué)生を養(yǎng)う」に変化したことが、「平成の30年間」における中國の突出した変化と言える。以前の親は空港で子どもを送り出すしかなかったが、今は子どもと一緒に日本を訪れ、日本のホテルで別れを告げる。そして以前の留學(xué)生は友人と一緒に木造アパートの1室を借りられるだけでも大変な幸運だった。今は日本語學(xué)校の寮に入ることが「殘念なこと」とされ、多くの人が即アパートを借りたり、親にマンションを買ってもらったりする。

「平成の30年間」に対する日本人の評価は高くない。最近読んだ書籍では「発展停滯の30年」などと稱されていた。これに対し、日本の25分の1だった中國のGDPは2010年に日本を抜き、日中関係も「友好関係」から「戦略的互恵関係」の段階に入った。こうした関係変化の背景にあるのは國の実力の変化だ。

新元號「令和」の典拠が日本の「萬葉集」であることを多くの中國人は「脫中國」と受け止めたが、私は「大化の改新でも明治維新でも根本的核心は全て『脫中國』だ」と言いたい。事実、日本が「脫中國」するたびに社會、経済の進歩と発展がもたらされた。今回、もし日本が「脫中國」によって経済の低迷から抜け出せるのであれば、それは日本、中國、アジアにとって必ずしも悪い事にはならない。中國はこうした広い懐を持つべきであり、さらに重要なのは「中國も発展の歩みを止めない」ということだ。(翻訳?編集/野谷

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