日中問題の根源は「中國通の日本人と日本オンチの中國人」にある―SP華字紙

Record China    2013年4月20日(土) 19時37分

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19日、シンガポール華字紙?聯(lián)合早報は「中國通の日本人、日本オンチの中國人」と題したシンガポール仏教學(xué)院の紀(jì)贇助教授の論説を掲載した。資料寫真。

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2013年4月19日、シンガポール華字紙?聯(lián)合早報は「中國通の日本人、日本オンチの中國人」と題したシンガポール仏教學(xué)院の紀(jì)贇(ジー?ユン)助教授の論説を掲載した。以下はその概要。

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仏教研究のシンポジウムに參加するため臺灣を訪れたが、そこで大多數(shù)の中國人よりも中國文化に精通している日本人の學(xué)者たちに會うことができた。中國語の仏教経典研究の第一人者も日本人だ。數(shù)年前、「中國の古代研究は中國が上か?日本が上か?」という論爭が學(xué)術(shù)サイト上で話題になった。敦煌研究についていえば、「敦煌は中國にあるが、敦煌學(xué)は日本にある」という見方もあるが、日本人學(xué)者の中國研究の深さや広さは誰もが認(rèn)めるところだ。

歴史的に見ても、日本と中國の文化が相手國に及ぼした影響力には大きな差がある。明治時代や日清戦爭までは、中國文化が日本に輸出されてきた。最近では多くの中國人が日本で暮らしているが、量的にも質(zhì)的にも日本の「知中派」は中國の「知日派」をはるかにしのいでいる。こうした日本の「知中派」が、過去の日中戦爭において日本の優(yōu)位を?qū)Г坤筏?。彼らが製作した正確な中國地図は中國軍も使用していたほどだ。しかも日本軍上層部の板垣征四郎や土肥原賢二、岡村寧次、石原莞爾も有名な「中國通」だった。

終戦後、中國人は日本人に対する恨みや軽蔑から、あるいは國內(nèi)の政治的思惑からか、日本についての研究を怠ってきた。日中戦爭についても、事実に基づいた検証を行うことはなかった。それが今の荒唐無稽な抗日ドラマの氾濫につながっている。中國が低俗でバカバカしく、安っぽい抗日ドラマを躍起になって制作している間に、日本は臺灣と中國の間にある矛盾をついて、尖閣問題上での両者の力を2分し、両者の矛盾をさらに広げることに成功した。

中國はこれまで日本という強國を直視してこなかった。彼らにとって日本は敗戦國であり、中國は戦勝國だからだ。日本は戦爭には負(fù)けたがそれは米國に負(fù)けたのであって、中國に負(fù)けたのではないと思っている。戦爭を起こしたのは「白人によるアジアの植民地化を阻止するため」と主張する日本に、當(dāng)時の軍國主義を心から反省させることは困難だ。日本が中國に対して抱いている優(yōu)越感が今後の日中関係の障壁になるのなら、中國の日本に対する理解不足も障壁になる。両者の隔たりと誤解をこのまま放置すれば、將來深刻な衝突を招くことになるだろう。(翻訳?編集/本郷)

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