<コラム>韓國(guó)の大學(xué)から日本語(yǔ)學(xué)科が消える?男子學(xué)生は7年在學(xué)?日本人の知らない韓國(guó)の若者文化

木口 政樹(shù)    2019年6月22日(土) 0時(shí)0分

拡大

日本の若者と比べて確実にちがうというのは、こちら韓國(guó)の若者(男性)は徴兵制があり、必ず一度は約二年の軍隊(duì)生活をしなければならないという點(diǎn)である。だいたいの場(chǎng)合は大學(xué)の一年が終り、二年に進(jìn)級(jí)するこのときに軍隊(duì)に行くことが多いようだ。寫真は高麗大學(xué)。

日本の若者と比べて確実にちがうというのは、こちら韓國(guó)の若者(男性)は徴兵制があり、必ず一度は約二年の軍隊(duì)生活をしなければならないという點(diǎn)である。だいたいの場(chǎng)合は大學(xué)の一年が終り、二年に進(jìn)級(jí)するこのときに軍隊(duì)に行くことが多いようだ。もっとも、時(shí)期はある程度自分で決められるようになってはいる。

入學(xué)時(shí)の同級(jí)生の女子學(xué)生らはそのまま進(jìn)級(jí)して二年、三年となり四年になって卒業(yè)して行くが、男子學(xué)生の場(chǎng)合は、軍の生活を終え復(fù)學(xué)して大學(xué)生活に戻ることになるので、入學(xué)時(shí)の女子學(xué)生らはもうすでに卒業(yè)しているか、インターンシップで日本に行っていたりしているので、復(fù)學(xué)しても會(huì)えることはほとんどない。

教室でそばにかけているのは、2年から4年ほど年下の女子學(xué)生たちである。男が二、三歳年上なので自然と仲よくなり、カップルになってゆくことも多い。カレッジカップルということでこちらではCC(シーシー)という流行語(yǔ)となって巷で良く使われている。

そのまま結(jié)婚につながることもあるようだ。こちらで教壇に立っていてこれがおもしろい。一年の時(shí)のメンバーがいつのまにかいなくなったかなと思っていると、そのうちに(といっても2、3年後になるが)帰ってきて合流し、7年ほど在學(xué)して卒業(yè)してゆくのがこちらの男子學(xué)生の一般的なスタイルだ。大學(xué)で7年も過(guò)ごすというのは、日本では想像もできないことだが、韓國(guó)ではごく一般的な感覚として通っている。

「ヤジャ」についても言及しなければならないだろう?!敢归g自律學(xué)習(xí)」の「夜自」をとって「ヤジャ」という。高校生の夜間學(xué)習(xí)のことである。有名校はもちろんのこと、韓國(guó)のありとあらゆる高校でこのヤジャというものがある。男子高、女子高を問(wèn)わない。高校一年生からこのヤジャはある。

放課後になっても家に帰るのではなく學(xué)校に殘り、夕食を食べてから教室で學(xué)習(xí)がはじまる。擔(dān)任の先生がいることもあるが、普通は生徒だけで學(xué)級(jí)委員が中心となり自習(xí)が行われる。一年生は夜9時(shí)まで。二年生は夜10時(shí)まで。三年生は夜11時(shí)までというのが大部分の高校のスタイルといえるだろう。

これが毎日続くわけだ。どうだろうか。日本の皆さん、想像できますか? 

ただし、「自律學(xué)習(xí)」ということなので、勉強(qiáng)する子もいれば、友だちとグラウンドに行ってダベリングで過(guò)ごす子もいるのは世の常。三年生ともなるとさすがにほとんどのクラスで靜かに黙々と勉強(qiáng)に勵(lì)む姿が見(jiàn)られると、わが子も言っていた。

ヤジャがクリアーできるのは、「修能試験」(スヌン)の日である。日本で言う大學(xué)入學(xué)の統(tǒng)一試験、韓國(guó)ではこれをスヌンといっている。高三の11月の第2週目の木曜日あたりがだいたい毎年その日である。

この日はまたたいへんだ。受験生のために會(huì)社の出勤時(shí)間を一時(shí)間遅めたり、早めたりして交通の混雑を緩和しようとするほどだ。また遅刻しそうな生徒がいたら、すかさずパトカーや白バイが動(dòng)員され、その生徒を向かうべき所定の學(xué)校に運(yùn)んでくれる。

數(shù)年前朝日新聞で見(jiàn)た記事だが、京都でもこうした遅刻學(xué)生がいてパトカーが動(dòng)員され20キロほどつっぱしって生徒を試験場(chǎng)まで運(yùn)んでくれたそうだ。そうすると京都府警に700件を越す反響が屆いたそうだが、8対2で賛成が多かったという。

「2」は反対ということで「甘すぎる」「不公平だ」といった意見(jiàn)。韓國(guó)だったらこういう賛否論爭(zhēng)はありえない。10対0で皆賛成ということになろう。韓國(guó)の高校生もこのスヌンの翌日からはヤジャがなくなるのである。

また外國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)に関して言うと、こちらの若者は外國(guó)語(yǔ)を?qū)Wぼうとする姿勢(shì)が子供の頃からできている。幼稚園のころから英語(yǔ)を?qū)Wばせたり、中國(guó)語(yǔ)を?qū)Wばせたり、日本語(yǔ)を?qū)Wばせたりする家庭も多い。子供たちもあまり反発することなく親の言う通りにそれらの外國(guó)語(yǔ)を嬉々として學(xué)ぶ。國(guó)の成り立ちが貿(mào)易であること、日本や米國(guó)などから技術(shù)を取り入れる必要があったことなどが外國(guó)語(yǔ)の學(xué)習(xí)欲につながっているようだ。

日本の場(chǎng)合は、明治時(shí)代は別として、現(xiàn)代にあっては、せいぜいアメリカあたりから技術(shù)をとりいれるために英語(yǔ)をやるというくらいなので、外國(guó)語(yǔ)に対する學(xué)習(xí)欲というのはそれほど見(jiàn)られないのではないのだろうか。

外國(guó)との付き合いが大事になるこれからの世に、こういう姿勢(shì)はかなり危険だとわたしは考えている。英語(yǔ)はもちろんのこと、お隣の韓國(guó)語(yǔ)とか中國(guó)語(yǔ)は必須だと思う。日本の技術(shù)はすごいんだとあぐらをかいていると、いつのまにか足下からすべてをすくわれてしまっていた、などということもかなりありうると思う。

韓國(guó)での人気の外國(guó)語(yǔ)は英語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)、そして日本語(yǔ)である。2010年ぐらいまでは英語(yǔ)、日本語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)の順だったが、2011年3月の原発事故のあとからは、日本語(yǔ)は中國(guó)語(yǔ)に完全に抜かれてしまった感がある。

日本とちがうのは、フランス語(yǔ)やドイツ語(yǔ)が多くの大學(xué)の外國(guó)語(yǔ)學(xué)部からなくなってしまっている點(diǎn)であろう。もちろん今でもなんとか外國(guó)語(yǔ)大學(xué)と名のつく大學(xué)などは仏語(yǔ)、獨(dú)語(yǔ)を設(shè)置してあるところもあるが、わたしの勤める大學(xué)には日本語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)、英語(yǔ)、ロシア語(yǔ)はあるが、仏語(yǔ)、獨(dú)語(yǔ)、スペイン語(yǔ)、ポルトガル語(yǔ)などはない。そしてこれがこちらでは一般的な大學(xué)の姿である。

日本語(yǔ)學(xué)科がいつまで存続するかはだれにもわからないが、お隣の國(guó)の言語(yǔ)なので、韓國(guó)のすべての大學(xué)から完全になくなるということはないはずだ。でもだんだん少數(shù)になっていくだろうことは想像に難くない。わたしの知り合いの教授が勤めるある大學(xué)では、とうの昔に日本語(yǔ)科がなくなってしまった。

東京オリンピックが終わって2021年あたりからは、韓國(guó)の大學(xué)から日本語(yǔ)科が姿を消す現(xiàn)象があちこちで見(jiàn)られるようになるかもしれない。時(shí)代って、そういうものなのだろう。こちら韓國(guó)にいると、世の中の移り変わりというものを肌で感じることが実に多いのである。

■筆者プロフィール:木口 政樹(shù)

イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県?米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。元三星(サムスン)人力開(kāi)発院日本語(yǔ)科教授、元白石大學(xué)校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓國(guó)』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

著書はこちら(amazon)

Twitterはこちら
※フォローの際はメッセージ付きでお願(yuàn)いいたします。

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜