沖縄に今も殘る中國の風(fēng)習(xí)、福建人の末裔が行う孔子祭―中國メディア

Record China    2013年5月22日(水) 19時40分

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21日、かつて琉球と呼ばれていた沖縄。沖縄は、日本ではあるが、日本らしくない、日本の中でも獨特の土地柄だ。歴史からみると、主に3つの出來事が現(xiàn)在の沖縄に影響を與えた。寫真は沖縄の守禮門。

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2013年5月21日、かつて琉球と呼ばれていた沖縄。その県庁所在地である那覇へは上海から飛行機に乗ればわずか2時間で到著する。沖縄は、日本ではあるが、日本らしくない、日本の中でも獨特の土地柄だ。歴史からみると、主に3つの出來事が現(xiàn)在の沖縄に影響を與えた。人民網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

1372年:中國、明(みん)朝初代の皇帝?朱元璋(在位1368-98)が當時琉球最大の中山王府に使者を派遣。これを受け中山王府が明に対し朝貢を始めたことで、琉球は中國文化の影響を受け始める。

1609年:薩摩藩が琉球に侵攻する。これにより、琉球王國の「日本化」が始まる。1879年に琉球は日本の沖縄県となる。

1945年:米國軍が沖縄を占領(lǐng)する。これ以降沖縄は30年間米國軍の管理下に置かれ、今もなお、米國軍基地が沖縄に置かれている。

このように、中國、日本、米國が沖縄の地に深い影響を與えてきたため、沖縄ではさまざまな土地の文化がまざった獨特の風(fēng)情が形成された?!笗r代の流れ」(嘉手苅林昌)という沖縄民謡にある「唐の世から 大和の世 大和の世から アメリカ世 ひるまさ変たる 此ぬ沖縄(うちなー)」(中國の世から大和の世、大和の世からアメリカの世 不思議に変わったこの沖縄)という歌詞がまさにこれを體現(xiàn)している。これらの國の中でも沖縄との関わりが最も古いのは中國であり、歴史も長いため、沖縄には今もなお昔と変わらない中國の風(fēng)習(xí)が色濃く殘っている。

■福建人の末裔が住む沖縄

沖縄の那覇市西北部に有名な「福州園」という庭園がある。園內(nèi)には福州の代表的な風(fēng)景や観光名所を真似て建設(shè)された樓閣などの建築物が建てられている。この庭園が建設(shè)されたのは1992年と最近のことだが、元々は、明から琉球に下賜された福建人が住んでいた久米村にあった。沖縄諸島最大の面積を誇る沖縄島にはかつて中山、南山、北山という3つの王國があり、うち中山が最も勢力を誇っていた。

1372年に中山王が明に朝貢を始めると、翌年には南山と北山も相次いで朝貢を開始した。15世紀、中山が琉球を統(tǒng)一し、獨立した琉球王國を建設(shè)した。これ以來、中國と琉球は朝貢関係を結(jié)び続け、明朝が「尚」という名を與え皇族とする慣わしも踏襲され、「第一尚氏王統(tǒng)?と稱された。1392年、朱元璋は福建省の造船?船舶関係の特殊技能を持った「福建人三十六姓」(三十六姓というのは數(shù)が多いことを形容すると言われ、多くの福建人を意味する。日本では「久米三十六姓」と呼ばれる)を琉球に下賜した。これらの人々は琉球に著いた後、一つの集落を作った。當初「唐営」と呼ばれたこの集落が、現(xiàn)在の久米村にあたる。

明から下賜され、中國から渡來してきたということで、久米村の人々は琉球王朝から重用され、王朝の重役を務(wù)めた。後に前後して琉球王朝の名宰相を務(wù)めた2人の有名な政治家、鄭炯(ジョン?ジオン)と蔡溫(ツァイ?ウェン)も久米村出身である。現(xiàn)在の沖縄県知事の仲井真弘多も當時福建から來た蔡氏の第19代末裔だ?,F(xiàn)在も久米村の孔子廟では毎年孔子祭が行われている。

■首里城

このほかに、那覇市にある首里城でも中國の影響を垣間見ることができる。首里城は琉球王朝の國王と家族が居住する「王宮」であると同時に王國統(tǒng)治の行政機関「首里王府」の本部だった。壯観で威厳のあった宮殿は、殘念なことに第2次世界大戦中に焼失したが、後に政府による復(fù)元事業(yè)によって再建され、今では沖縄に訪れた観光客にとって必見の観光地となっている。

首里城にある「守禮門(守禮門)」は、明朝第13代の皇帝?萬暦帝が琉球に贈った詔書の中の文字から名付けられた。首里城で最も目立つ、この中國式の門の屋根に掲げられた額には「守禮之邦(しゅれいのくに)」という4つの文字が書かれている。これは「琉球は禮節(jié)を重んずる國である」という意味だ?!甘囟Y門」は復(fù)元された首里城に以前と同じ姿のまま見られる。「守禮門」は琉球文化を代表する、沖縄諸島で最も重要な建築物であり、2000円札の図柄にも採用されている。

興味深いのは、首里城正殿は正面が南向きではなく、中國が位置する方向(西向き)に建てられている點だ。これは建築士のミスではなく、琉球にとって當時の宗主國であった中國が西側(cè)に位置するため、中國に敬意を表すために、琉球王朝のすべての建築物の正面が西向きに建てられているのだ。

首里城正殿內(nèi)には中國皇帝が琉球王朝に贈った9つの額が飾られている。しかし、現(xiàn)物は第2次世界大戦で首里城が全焼した際に焼失している?,F(xiàn)在は、復(fù)元された清の第4代皇帝?康熙帝(1654-1722)の「中山世士」と清の第5代皇帝?雍正帝(1722-1735年)の「輯瑞球陽」、清の第6代皇帝?乾隆帝(1735-1795)の「永祚瀛●(●=土へんに需)」の3つの額だけが掲げられている。

首里城では毎年元旦に國王や女官に扮した人たちが朝賀の儀式を再現(xiàn)する「新春の宴」というイベントが行われており、中國の方角に向かって禮拝している。

■數(shù)え切れないほど見かける沖縄のシーサー

古代遺跡のほかにも、現(xiàn)代の沖縄には多くの中國の名殘が見られる。北京には「盧溝橋の獅子は數(shù)え切れないほど多い」という言葉があるが、沖縄でも、いたるところにさまざまな種類の「シーサー」と呼ばれる狛犬の姿を見かける。シーサーを置くという風(fēng)習(xí)は14世紀に中國から伝わったとされる。中國と同様、沖縄の人もシーサーが魔除けの効果を持つ「守り神」だと信じていた。沖縄を旅行すれば、常に一組、或いは數(shù)組のシーサーを見かけることになるだろう。屋根の上に立つシーサーや壁にはめ込まれたシーサー、観光地の土産屋で売られているシーサーの記念品など、シーサーは沖縄の象徴となっている。

また、沖縄の街角で毎回T字路にさしかかると、「石敢當」という3つの文字が書かれたさまざまな形狀の石碑を見かける?!柑┥绞耶敗工咸拼槭激蓼盲恐袊糯物L(fēng)習(xí)で、一般にはT字路や十字路に設(shè)置されている。石の上には「石敢當」や「泰山石敢當」と書かれており、魔除けや厄除けの意味を表す?,F(xiàn)在では、中國の「石敢當」の風(fēng)習(xí)はすでにどこにも見られないが、沖縄ではこのような古くからの風(fēng)習(xí)が今も殘っている。沖縄の「石敢當」は街角で見られるだけでなく、観光土産物屋でも各種工蕓品として販売されており、沖縄の風(fēng)景を代表する特徴の一つとなっている。

■沖縄の伝統(tǒng)音楽

沖縄の食べ物にも中國文化が深く溶け込んでいる。日本料理は生ものや冷たい食物が多く、油の炒め物は比較的少ないが、沖縄の最も有名な美食といえば、ゴーヤー(ニガウリ)と豚肉の炒め物だ。沖縄では、多くの居酒屋の突出しに豚の耳が出されるほか、豚足の煮物や、豚足ラーメンなども沖縄では一般的に見かける美食である。

沖縄には三線(さんしん)と呼ばれる獨特の楽器がある。これは福建省の伝統(tǒng)的な楽器三弦(サンシェン)と非常によく似ている。英國のシェフィールド大學(xué)で沖縄音楽を研究している葉佳穎(イエ?ジアイン)博士によると、「琉楽」と呼ばれる沖縄の伝統(tǒng)音楽のうち、「琉球御座楽」(うざがく)は明?清時代に伝わった音楽であり、中國の冊封使が訪れた際に用いたものだという。葉博士は「『琉球御座楽』は中國の楽器を使用して演奏した琉球王朝の室內(nèi)楽で、明?清との交流の際に演奏した。また、屋外で行進しながら合奏する音楽『路次楽』(るじがく)も中國の鼓吹楽(打楽器および吹奏楽器の演奏を主とした漢代の音楽で多くの場合,歌唱を伴う)の影響を受けている」と語る。

このほかに、沖縄の人は端午節(jié)(端午の節(jié)句)にはドラゴンボートレースを行い、4月には先祖を供養(yǎng)する中國の伝統(tǒng)的祭日である「清明節(jié)」も祝う。中國人の祖先を持つ沖縄の人は、清明節(jié)にお供えする食べ物も中國と同じであるという。

沖縄にはかつて広州、福州、上海など琉球文化のルーツを訪ねて北京にまで行った渡名喜明という學(xué)者がいた。北京で故宮に訪れ、午門から中に入る際に渡名氏が、「我々の祖先と中國間の文化は相互交流だったのではなく、中國から一方的に伝わってきた文化が、その後細部に消化されて、今の琉球文化が創(chuàng)られた」と語っている。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/MZ?編集/內(nèi)山)

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