性描寫の多い明代の小説「金瓶梅」、日本での普及の歴史―日本人教授

Record China    2013年5月24日(金) 6時(shí)7分

拡大

22日、日本神奈川大學(xué)外國語學(xué)部中國語學(xué)科の鈴木陽一教授によると、明代の長編小説で、中國四大奇書の1つ「金瓶梅」が日本で普及した過程は3つの段階に分けられるという。寫真は金瓶梅関連の挿絵が描かれた陶器。

(1 / 3 枚)

2013年5月22日、日本神奈川大學(xué)外國語學(xué)部中國語學(xué)科の鈴木陽一教授によると、明代の長編小説で、中國四大奇書の1つ「金瓶梅」が日本で普及した過程は3つの段階に分けられるという。第1期は江戸時(shí)代で、當(dāng)時(shí)日本人は中國語を?qū)Wぶために中國の大衆(zhòng)文學(xué)を輸入して読んだという?!附鹌棵贰工涡≌hはこのような形で大量に日本に入り込んだ。日本人が中國語を?qū)W習(xí)する段階を終えた後、より多くの人が娯楽のために中國の小説を読むことに重點(diǎn)を置き始めた。しかし「金瓶梅」には比較的多くの性描寫があるため、性の開放度が高い日本人でさえ、この小説を官能小説として捉えていた。そのため明治時(shí)代の日本の知識人たちも「金瓶梅」を個(gè)人的にこっそりと読み、「金瓶梅」が好きだとは公に言えなかったという。山東商報(bào)が伝えた。

その他の寫真

19世紀(jì)になると、曲亭馬琴という作家が現(xiàn)れて、「金瓶梅」に高い評価を與えただけでなく、「金瓶梅」の背景を江戸時(shí)代に変えてリライトした草雙紙の「新編金瓶梅」を発表した。これには、金瓶梅の登場人物である西門慶や潘金蓮もすべて日本人の姓名や身分となって登場する。

「後になって徐々に日本の知識人の中にも、性描寫が多いということを除けば、『金瓶梅』はやはり文學(xué)や蕓術(shù)レベルの非常に高い作品であると言う人も現(xiàn)れはじめた」と鈴木氏は語る。しかし、たとえそうだとしても、曲亭馬琴を含む多くの日本の知識層は「金瓶梅」で描かれる內(nèi)容は虛構(gòu)の世界だと考えていた。

■中國民俗が描かれた「金瓶梅」が侵略者の教科書となった歴史

「『金瓶梅』が日本で2度目に普及した要因は戦爭だった」と鈴木氏は指摘する。鈴木氏によると、19世紀(jì)末から20世紀(jì)初頭にかけて、帝國主義を推進(jìn)する當(dāng)時(shí)の日本の指導(dǎo)者たちは、侵略した占領(lǐng)地を有効的に統(tǒng)治する術(shù)を知らなかったため、西歐のやり方を研究した。占領(lǐng)地を上手く統(tǒng)治するには、占領(lǐng)地の風(fēng)俗や習(xí)慣を?qū)Wぶ必要があり、少しでも早く現(xiàn)地の文化と溶け込むことが大事である。しかし、日本の海軍は江戸時(shí)代以降、中國との接觸は少なくなり、大部分の人が中國の風(fēng)習(xí)について理解していなかった。そのため、日本の軍部は中國の風(fēng)俗を?qū)Wぶために參考にするべきものがなかった。

この頃、ある人物が「金瓶梅」の中には多くの中國の風(fēng)俗や習(xí)慣が描かれており、占領(lǐng)地を統(tǒng)治する際に參考になることを発見した。また、日本は急速に現(xiàn)代化したため、日本の伝統(tǒng)的な民俗も急速に消えつつあった。日本の民俗學(xué)はこのように誕生し、中國民族についての研究は日本獨(dú)自の民俗學(xué)を発展させることに役立った。そして、「金瓶梅」は民俗小説の代表的な作品として日本民族學(xué)者の研究対象となった?!溉毡兢蚊袼讓W(xué)者は舊日本軍の占領(lǐng)戦略に利用されることを望まなかったが、知らぬ間に舊日本軍の侵略や占領(lǐng)に何らかの作用をもたらした」と鈴木氏は分析する。

このようにして、「金瓶梅」は再び日本人の教科書となり、上にも下にも広く普及することになった。ただし、この普及は舊日本軍が侵略地における統(tǒng)治の基礎(chǔ)固めをするのに作用することになった。

■第二次大戦後「猥褻」への規(guī)制が厳格に、「金瓶梅」翻訳完全版は今も読めず

第二次世界大戦が終ると、日本は戦爭を反省すると同時(shí)に、知識層は改めて中國文化の発掘と研究を開始した?!笐橹肖鋺榍挨稳毡兢?、中國の民俗に対する研究はあったものの、依然として孔子や孟子の儒教の研究があくまでも主だった。しかし、戦爭後の日本の知識人は本格的に中國の近現(xiàn)代および現(xiàn)代文學(xué)の研究を紹介しはじめた。しかし、『金瓶梅』を含むこれらの中國白話小説が大量に入ってくると、多くの日本人がこれらの小説の語法や単語は、『朋有り遠(yuǎn)方より來たる。亦楽しからずや(論語)』のような中國の古代中國語とはあまりに掛け離れていることに気付いた。これにより、中國の有名な小説は、日本の知識人によって現(xiàn)地化されて、普及するという第3期の段階に入り、日本人は自ら辭書を作り、自ら翻訳を始めた」と鈴木氏は説明する。

しかし、「金瓶梅」を翻訳する作業(yè)は相変わらず困難を伴った?!笐榍挨摔?、『金瓶梅』の翻訳本はあったが、部分翻訳であり、すべてが翻訳されたわけではなかった。そこで戦後は完全版の翻訳に著手することになった」?!附鹌棵贰工闲悦鑼懁啶い长趣思婴ā?dāng)時(shí)の日本の社會は「わいせつ」な言論への管理が厳格で、どのように、「金瓶梅」を翻訳するかが學(xué)者たちの悩みの種だった。

當(dāng)時(shí)、英國小説「チャタレイ夫人の戀人」が警視庁によって「わいせつ物頒布(はんぷ)等」(刑法第175條)違反の容擬で摘発され、出版社が裁判で本の発禁処分を受けただけでなく、翻訳者までもが起訴され罰金を命じられた。これ以降、日本の出版社は「わいせつ」な內(nèi)容を含む作品を翻訳?出版する際には非常に慎重になった?!袱长煲郧?、出版社は『金瓶梅』の性描寫シーンだけ翻訳しないで、中國語の原文を書籍の最後に付けて出版していた。しかし、この事件以降、新たに増刷された、『金瓶梅』には、書籍の最後に付けていた中國語原文もすべて削除するようになった」と鈴木氏は語る。

このように、日本の「金瓶梅」に対する研究は現(xiàn)在に至るまでずっと継続されているにも関わらず、一般の日本人は完全な「金瓶梅」の作品を見る事はできない?,F(xiàn)在では、収益の観點(diǎn)から、たとえ「金瓶梅」の完全翻訳本が出版できるとしても、日本では誰も出版しないだろう。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/MZ?編集/內(nèi)山)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜