<コラム>幻に終わった沙市の日本人租界地を訪ねて

工藤 和直    2019年7月2日(火) 23時50分

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湖北省荊州市は、上海と四川省成都市を結(jié)ぶ東西の線と北京と海南島を結(jié)ぶ南北の線が交わる地點(diǎn)にある。まさに中國の中心部にある?,F(xiàn)在の荊州市周辺は長江文明が栄えた地であった。

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湖北省荊州市は、上海と四川省成都市を結(jié)ぶ東西の線と北京と海南島を結(jié)ぶ南北の線が交わる地點(diǎn)にある。まさに中國の中心部にある。現(xiàn)在の荊州市周辺は長江文明が栄えた地であった。6000年前の大渓文化や屈家?guī)X文化の遺跡が出土している。また春秋戦國時代、楚の首都「郢」はこの周辺にあった。秦が楚を「荊」と改稱したのが地名の始まりである。古代の地域名である荊州は周王朝以來いわれた九州のひとつで、「尚書」の夏書?禹貢によると冀州、兗州、青州、徐州、揚(yáng)州、荊州、予州、梁州、雍州を指した。

その他の寫真

清朝以降、長江河港である沙市が発達(dá)した。日清戦爭後、1895年下関條約で沙市は開港、他に重慶?蘇州?杭州?沙市の4港の開港が承認(rèn)され、1896年「沙市日本國領(lǐng)事館」が設(shè)置された。それぞれ専管租界地の準(zhǔn)備に入り、沙市は明治31年(1898年)8月18日、17條の條約が調(diào)印された(中日沙市租借専約)。場所は、沿江大道南側(cè)で荊江大堤沿いにある文星樓(寫真1)を起點(diǎn)とし東南に1900m、端は玉和坪(洋碼頭)までの長方形の地域、約180875坪と記録されている。

しかし、調(diào)印前の5月8日、稅関に放尿した暴漢を門番が毆打負(fù)傷させ、翌9日に治療費(fèi)を求めに來た群衆(zhòng)が、稅関?招商局?日本領(lǐng)事館などに放火する事態(tài)「沙市事件」となった。この事件後に條約調(diào)印となっても、租界地運(yùn)営の熱は冷め、幻の租界地となった。當(dāng)時、邦人は20名ほど駐留していた。(寫真2)は放火前の日本國領(lǐng)事館であるが、2階建て洋風(fēng)建築であった?,F(xiàn)在、文華中學(xué)がある辺りが租界地の中心になったと思われる(地図1)

文星樓は康煕年間に建設(shè)され、清代中期に現(xiàn)在地に移転、底辺が10m四方で15m高さの樓閣である。同治3年(1864年)に焼失し1941年に再建されたが、今は廃墟に近い建築物である。又の名を「奎文閣」ともいい、奎(とかき)とは古代中國天文28宿の一つ??à趣┬扦衔倪\(yùn)を司る神様である??茠い卧囼Yを受ける青年がこの樓閣に通い、合格して進(jìn)士となったという。

日中戦爭では1940年6月に沙市は日本軍に占領(lǐng)され、終戦まで続いた。中華人民共和國成立後、荊州周辺は何度も行政區(qū)分の変更、1994年には沙市市?江陵県?荊州地區(qū)が併合し、「荊沙市」が発足した。1996年に「荊州市」と名稱変更され現(xiàn)在に至っている。このように、現(xiàn)在の荊州市は6000年前から現(xiàn)在まで変わらない古都であり、周王朝以降は北(紀(jì)南城?郢城)→中央(荊州城)→南(沙市)と時代を追うごとに南下したと言える。古代から近代までを一望に見ることができる都市である。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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