北京市郊外で「長城」が破損=「通行の邪魔」と人為的に削った可能性―中國メディア

Record China    2019年7月3日(水) 6時(shí)10分

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北京市郊外の昌平區(qū)內(nèi)で、明代に建設(shè)された長城の一部が破損していることが分かった(寫真)。何者かが通行の邪魔になると考えて削ったのではとの見方が出ているという。

北京市郊外の昌平區(qū)內(nèi)で、明代に建設(shè)された長城の一部が破損していることが分かった。北京青年報(bào)が2019年7月2日付で報(bào)じた。何者かが通行の邪魔になると考えて削ったのではとの見方が出ているという。

北京市內(nèi)にある長城は明代に造られたもので、建設(shè)に著手したの第3代皇帝の永楽帝(1402-1424年)だ。北京市內(nèi)で明長城があるのは、懐柔區(qū)、密雲(yún)區(qū)、延慶區(qū)、昌平區(qū)で、昌平區(qū)に存在する長城の長さは他の3區(qū)ほどではなく知名度も高くはないが、國家的な文化遺産とする「全國重點(diǎn)文物保護(hù)単位」であることに変わりはない。

北京青年報(bào)記事によると、昌平區(qū)內(nèi)の長城の破損を発見したのは、南口抗戦記念館の楊國慶館長だった。南口抗戦とは北京から河北省張家口に向け進(jìn)軍した日本軍と中國國民革命軍(中華民國軍)の間で1937年に戦われた「南口戦役」を指す。同戦役では日本軍が勝利したが、日本側(cè)の死傷者が約1萬5000人、中國側(cè)は約1萬6000人の激戦だったと伝えられている。

楊館長によると、昌平區(qū)內(nèi)の長城付近を徒歩調(diào)査している際に、長城が幅1メートル余り、長さ2メートル余りに渡って削られているのを発見した。青色で算用數(shù)字や矢印が書かれていて、ペンキの容器と思われる物もあったという。

昌平區(qū)とその周辺の長城は南口戦役での砲撃で被害を受け、それ以外にも自然に崩れた場(chǎng)所があった。そのため、2012年から13年にかけて補(bǔ)修作業(yè)が行われた。楊館長は「補(bǔ)修されてからわずか6、7年で、簡単に崩れるはずはない」と述べた。

長城が削られた部分の両側(cè)にはそれぞれ細(xì)い道があり、片方の道は北京方面に、もう一方の道は河北省?懐來県に通じている。楊館長は「通行の邪魔になるとして、何者かが抜け道を作ろうとしたのだろう」との見方を示した。昨年(18年)秋に來た時(shí)に異常はなかったので、その後の冬から今年になっての仕業(yè)と考えられるという。

昌平區(qū)內(nèi)の長城は観光地として開放されておらず、人家からも遠(yuǎn)い場(chǎng)所にある。そのため、近寄る人は少なく、監(jiān)視カメラなども設(shè)置されていない。中國では法律により、長城が所在する省、自治區(qū)、直轄市政府に、長城の近くにある道路などに、保護(hù)対象である長城の存在を示す標(biāo)識(shí)を設(shè)置することが定められているが、北京青年報(bào)記事によると、周囲に標(biāo)識(shí)は見當(dāng)たらなかったという。

法律では、人里離れた場(chǎng)所にある長城について、県政府などが長城保護(hù)員を任命して、監(jiān)視パトロールを行わせ、適切な報(bào)酬を與えることも定められている。

しかし地元政府の関係者は、監(jiān)視員はいるものの専門職ではなく、長城があるのが山間部で居住地から徒歩で往復(fù)するには3~5時(shí)間もかかるので、問題が発生してもすぐに知ることは困難と説明したという。(翻訳?編集/如月隼人

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