抗日精神はどこへ?日本軍に虐殺された犠牲者の合葬墓、知らぬ間に消失―河北省承徳市

Record China    2013年6月3日(月) 20時(shí)30分

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2日、中國(guó)?河北省承徳市で、戦前に日本軍による虐殺の犠牲となった人々の合葬墓が、遺族らの同意を得ることなく、無斷で移転されていたことがわかった。寫真は山東省棗荘市の烈士墓。

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2013年6月2日、中國(guó)?河北省承徳市の●平県(●=さんずいに「欒」)で、戦前に日本軍による虐殺の犠牲となった人々の合葬墓が、遺族らの同意を得ることなく、無斷で移転されていたことがわかった。中國(guó)新聞社の報(bào)道。

その他の寫真

72年前の1941年10月、ここでは32人の兵士と村人が日本軍に虐殺されるという悲慘な事件があった。その発生場(chǎng)所の地名をとって「天橋溝慘案」と呼ばれる事件である。天橋溝は事件の後にすべての村人が去り、無人と化していたが、その跡地には犠牲者を合葬する墓が建てられた。30?40平米の広さに高さ2メートルほどの墓碑が建ち、1980年代ごろまでは各地からの參拝者が後を絶たなかったという。

今年4月6日、犠牲者の遺族の1人が、墓がこつ然となくなっているのを発見した。この日は「清明節(jié)」といって中國(guó)のお盆にあたり、先祖の墓參りをする日である。しかし、墓は何者かに掘り起こされた形跡があり、周囲には遺骨の一部が落ちていたという。

墓を掘り起こした犯人は、地元政府だった。5日深夜、遺族たちの同意も得ないまま墓を掘り起し、別の場(chǎng)所に移転していたのである。「県內(nèi)各地に散っている烈士(革命などで殉死した人)の墓を1カ所にまとめるため」という説明だったが、実際の目的は、近くに鉄鉱石の鉱山を開発するため、新たな道路を敷設(shè)するのに合葬墓を動(dòng)かしたかったということのようだ。地元政府はこのことについては無言を貫いているが、遺族の許可なく墓を移転したことについては「連絡(luò)不足だった」と認(rèn)めているという。(翻訳?編集/愛玉)

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