<コラム>福州にあった日本領(lǐng)事館と福州神社を探して倉前山を歩く

工藤 和直    2019年7月26日(金) 22時50分

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福州は南京條約で開港場となり、閩河沿いの倉前山一帯にイギリス人が住み著くようになった。1844年にイギリス領(lǐng)事館が建設(shè)されると、他の列強(qiáng)各國も領(lǐng)事館や商館?學(xué)校?教會などを付近に建設(shè)、倉前山は外國人の居住區(qū)となった。

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アヘン戦爭後の南京條約(西暦1842年)により西洋列強(qiáng)は、広州?アモイ?福州?寧波?上海5港を開港させ、最初にイギリス、次にフランス、次にアメリカが上海に租界地を置いた。その後天津條約(西暦1858年)で、漢口?九江?南京など10港を開港、北京條約(西暦1860年)によって天津を開港させた。西洋列強(qiáng)は戦勝國の立場で特権を中國に強(qiáng)いる傾向が強(qiáng)く、あわせて中國內(nèi)の內(nèi)亂をもうまく利用し租界地の拡大を図った。

その他の寫真

福州は南京條約で開港場となり、閩河沿いの倉前山一帯にイギリス人が住み著くようになった。1844年にイギリス領(lǐng)事館(現(xiàn)在の楽郡路“紅軍園”)が建設(shè)されると、他の列強(qiáng)各國も領(lǐng)事館や商館?學(xué)校?教會などを付近に建設(shè)、倉前山は外國人の居住區(qū)となった。この倉前山(現(xiàn)在の煙臺山公園付近)にイギリス?アメリカ?フランス?ドイツ?ロシア?日本?イタリア?オランダなど17の領(lǐng)事館が出來た(寫真1)。日本領(lǐng)事館が1872年に愛國路14號(鶴齢路2號)の丘陵地にあった(寫真2)。寫真から中央の建屋が現(xiàn)存していることが分かる。アメリカ領(lǐng)事館郵便局宿舎(愛國路2號:寫真3)から見下ろすと、閩河南岸までの日本人租界予定地が手に取るように見え一等地であることが分かる。

福州に住む外國人たちは、1862年に「福州公路信託部」という自治組織を結(jié)成し、倉前山に道路や墓地の建設(shè)、環(huán)境整備を行ったほか、一時は自分たちの警察も設(shè)置した。しかし未公認(rèn)の「租界もどき」なので、住民から稅金を徴収するわけにはいかず、インフラ建設(shè)の資金は倉前山の道路を通る人から年3元(乗馬する人は6元)、沿道の企業(yè)からは年25元を徴収して財源とした。

1860年代にイギリス教會が中國人に焼き討ちされる事件が起きると、外國人の怒りを靜めるために福州の中國側(cè)役人は倉前山の麓に70萬坪の敷地を提供、ここに競馬場を開設(shè)し「一般中國人立ち入り禁止」の治外法権エリアとすることを認(rèn)めた。

1897年の條約で、福州に日本専管租界の設(shè)置が認(rèn)められ、1899年4月28日に規(guī)定を定めた。その內(nèi)容は、天主堂碼頭から西で、閩河南岸から丘陵地にかけての土地であったが、結(jié)局作られずじまいであった。外國人による“共同租界もどき”は太平洋戦爭勃発でイギリス人らが引き揚(yáng)げる1942年まで続いた。現(xiàn)在の倉山小學(xué)校は1936年創(chuàng)建の福州神社跡であり、隣に福州尋常小學(xué)校があった(立新路22號)。福州神社の寫真を探索したが現(xiàn)在まで発見してない。福州には、最大で500名ほどの在留邦人が居たと記録がある。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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