波瀾萬(wàn)丈!日本生まれの「無(wú)國(guó)籍」男性、苦労の末ようやく中國(guó)國(guó)籍を取得―中國(guó)メディア

Record China    2019年8月2日(金) 12時(shí)40分

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12日、新民晩報(bào)は、日本で生まれて中國(guó)にやってきた男性が數(shù)奇な運(yùn)命から「無(wú)國(guó)籍」?fàn)顟B(tài)となり、中國(guó)國(guó)籍を取得するまでの波瀾萬(wàn)丈の過(guò)程を紹介した。

2019年7月12日、新民晩報(bào)は、日本で生まれて中國(guó)にやってきた男性が數(shù)奇な運(yùn)命から「無(wú)國(guó)籍」?fàn)顟B(tài)となり、中國(guó)國(guó)籍を取得するまでの波瀾萬(wàn)丈の過(guò)程を紹介した。

當(dāng)事者である男性の周(ジョウ)さんは1998年3月に日本で生まれた。両親は在日中國(guó)人で、未婚だった。その後両親が別れ、母親は日本國(guó)籍の男性と結(jié)婚した。周さんはこれに伴い日本國(guó)籍を持ったが、生後3カ月となった同年6月に実の父に連れられて上海にわたり、以後一度も日本の土を踏んでいない。中國(guó)では無(wú)戸籍の狀態(tài)が約7年続き、2005年6月にようやく父親が登記を行って戸籍を取得した。

しかしそれから8年後の15年、母親が自らの利益のために上海市の靜安公安分局に「虛偽の出生証明を提出した」と告白。調(diào)査を経て、16年1月に周さんの出生と戸籍の登記が取り消された。さらに、17年5月には上海の日本総領(lǐng)事館から周さんの日本國(guó)籍離脫が宣告される。これにより、周さんはどこの國(guó)籍も戸籍も持たない人物となり、就學(xué)も就労もできない狀況に陥ったという。

そこで、同公安局に陳情すると、関係部署が日本の警察當(dāng)局に両親の日本での身分照會(huì)を依頼。紆余曲折を経て日本から返ってきた答えは「周さんの出生時(shí)、生母が持っていたのは日本での長(zhǎng)期居住許可のみであり、永住者の資格は持っていなかった」というものだった。実父はすでにこの世を去り、母親は調(diào)査への協(xié)力を拒否したため、周さんの國(guó)籍認(rèn)定は暗礁に乗り上げた。

無(wú)戸籍のため何もできない周さんを救うため、公安局の陳情処理部門(mén)は各関係當(dāng)局と協(xié)議を重ね、なんとか解決の道を模索。過(guò)去に例はなかったが、生後間もなく実父と中國(guó)に戻ってきたことを鑑み、國(guó)籍認(rèn)定の部分を飛び越して特殊事例の手順に基づき処理することを決定すると、18年9月4日に周さんはついに待望の戸籍を手に入れ、晴れて正式な「中國(guó)人」となることができたという。(翻訳?編集/川尻

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