怒りに震えながら日本留學(xué)に反対した母親、でも私は絶対にあきらめない―中國人學(xué)生

日本僑報(bào)社    2019年8月15日(木) 7時(shí)10分

拡大

蘭州大學(xué)の郭順●さんは、日本への留學(xué)が母親の反対によってかなわなかった時(shí)に日本人の先生からかけてもらった言葉について、作文に次のようにつづっている。資料寫真。

(1 / 2 枚)

終戦から74年、日中には今も戦爭に対するさまざまな思いを抱える人たちがいる。蘭州大學(xué)の郭順●(●=品の口が金)さんは、日本への留學(xué)が母親の反対によってかなわなかった時(shí)に日本人の先生からかけてもらった言葉について、作文に次のようにつづっている。

その他の寫真

高校生の時(shí)、「秒速5センチメートル」という日本のアニメ映畫を見た。登場人物が、ほろほろ散っている桜の花びらのなかで擦れ違うシーンがあった。

その色彩の美しさに感動し、深く印象に殘った。私もいつか、散りゆく桜の花びらの中を歩きながら、靜かな美しい景色を見たいと思った。そして、映畫や小説に書かれる日本人の心の溫かさを感じたいと思って、日本に留學(xué)することを決意し、大學(xué)では日本語學(xué)科を選択した。

入學(xué)した大學(xué)には、日本人の先生がいた。ある食事會をきっかけに、勇気を出して「どうやって日本に留學(xué)することができますか」と尋ねてみた。先生は「まずは日本を好きになり、一生懸命勉強(qiáng)すればできますよ」と答えた。それを聞いて私は嬉しくなった。私は日本が好きだし、日本語の勉強(qiáng)も楽しかったからだ。きっと、念ずれば花開く、私はそのときそう思った。先生は頼もしくて、いろいろな日本にある大學(xué)の情報(bào)を紹介してくださった。

それから、私も毎日図書館に行き、一生懸命勉強(qiáng)した。その結(jié)果、1年後、私の成績は學(xué)年で1位になり、日本の大學(xué)に留學(xué)する資格を取ることができた。もうすぐ夢は実現(xiàn)する。

私は故郷の母に留學(xué)資格のことを伝えた。そこで予想外のことが起こった。母はぶるぶる震えて怒り出し、「留學(xué)はできない」と言ったのだ。それは我が家に伝わる日中の戦爭の「悲しい歴史」が原因だった。その話を聞いて私も悲しく、苦しかった。でも、それは過去の出來事だ。いまの日本人がしたことではない。日中の関係は長い時(shí)間をかけて改善してきた。私にとっても魅力ある國だ。どうして過去にこだわり、未來に向かおうとしないの?だが、いくら思いを伝えても母の態(tài)度は変わらず、娘の夢より「悲しい歴史」にこだわった。日本語學(xué)科の進(jìn)學(xué)は認(rèn)めてくれたが、留學(xué)することには強(qiáng)く反対されてしまった。

留學(xué)をあきらめるしかなかった私は辛くて落ち込んだ。夢を失って、やる気もなかなか出てこなかった。しかも、その日本人の先生は病気になって、日本へ帰ってしまい、誰も助けてくれなかったから、更に悲しくなって、絶望的な気持ちになった。

その後、新しい日本人の先生がやってきた。先生はいつもにこにこしてとても優(yōu)しく見えたが、あまり個(gè)人的に話しかけたことがなかったので、頼れるかどうか全然分からなかった。ところが、あることから、先生に対する印象はずいぶん変わった。

それは一緒に運(yùn)動場でジョギングした夜のこと、先生は突然「なぜ留學(xué)しないのですか」と聲をかけてきたのだ?!袱ⅰⅳ巍?。どうやって答えればいいか迷っていると、先生は続けて「本當(dāng)は行きたいですね、先生は知ってるよ」。まさか先生が私のことを気にかけてくれているとは思わなかったから、驚いた?!袱ⅳ椁幛毪?、先生は応援するから」。先生はそう言ってくれた。「色々な方法を一緒に考えよう」。先生の溫かさが心に染みた。

長い間一人で全てを背負(fù)い込んでいた私は本當(dāng)に嬉しかった。夜色に隠れ、先生に見えないように靜かに泣いてしまった?!袱悉?!」。私の心に勇気が湧いてきた。絶対あきらめない、きっと日本に行くと思うと、トラックを走る足取りも急に軽くなった。先生は、「私は一人でひとりぼっちではない」こと、夢を支えてくれる人がこんなに近くにいることを教えてくれた。

あの日から、先生はずっと私のことを心配して日本に行く方法を探してくれている。私は、先生のおかげで自分の夢を取り戻した。暗い過去に手を振って、明るい未來を目指すことを強(qiáng)く心に誓った。大學(xué)院に進(jìn)學(xué)して、自分の力で日本に行くために、日本語力を磨かなければならない。腕試しとして大學(xué)が主催するスピーチコンテストや作文コンクールに積極的に參加した。その途中、どんな困難に出合った時(shí)でも、「あきらめるな、先生は応援するから」というあの言葉が心に浮かび、いつだって勇気づけられている。私は絶対にあきらめない。(編集/北田

※本文は、第十四回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「中國の若者が見つけた日本の新しい魅力」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2018年)より、郭順●(●=品の口が金)さん(蘭州大學(xué))の作品「私を応援してくれる大切な言葉」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

この記事のコメントを見る

中國人の日本語作文コンクール受賞作品集はコチラ
http://duan.jp/item/267.html

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜