Record China 2013年7月5日(金) 12時(shí)20分
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日本統(tǒng)治下の臺(tái)灣に生まれ、日本人として教育を受けた「日本語世代」。7月6日公開の「臺(tái)灣アイデンティティー」は、彼らが送った激動(dòng)の戦後を通し、日本と臺(tái)灣の未來を見つめるドキュメンタリーだ。作品寫真:(c)2013マクザム/太秦
日本統(tǒng)治下の臺(tái)灣に生まれ、日本人として教育を受けた「日本語世代」。7月6日に公開される「臺(tái)灣アイデンティティー」は、彼らが送った激動(dòng)の戦後を通し、日本と臺(tái)灣の未來を見つめるドキュメンタリーだ。
初監(jiān)督作「臺(tái)灣人生」(09)、続く「空を拓く 建築家?郭茂林という男」(13)と、酒井監(jiān)督は一貫して日本語世代を追ってきた。「臺(tái)灣アイデンティティー」では、臺(tái)灣、日本、インドネシアに暮らす6人に密著。敗戦による日本の撤退、大陸から來た國民黨による支配、民衆(zhòng)弾圧「二?二八事件」と「白色テロ」、戒厳令解除から民主化へ―日本語世代が巻き込まれた激動(dòng)の戦後を追う。
6人は生まれた時(shí)から、「外來の為政者」に人生を翻弄されてきた。少數(shù)民族ツオウ族の高菊花(ガオ?ジューホア)さんは、戦後に父が逮捕?処刑され、自身も長(zhǎng)く國民黨に監(jiān)視された。高さんの大叔父?鄭茂李(ジョン?マオリー)さんは、18歳で海軍に志願(yuàn)。戦後は國民黨の執(zhí)拗な尋問を受けた。
少年工として日本に渡った黃茂己(ホアン?マオジー)さんは、結(jié)婚後に臺(tái)灣に戻って教員に。臺(tái)灣人の父と日本人の母の間に生まれた張幹男(ジャン?ガンナン)さんは、獨(dú)立派の冊(cè)子を日本語に翻訳しようとして逮捕され、政治犯収容所に8年間入れられた。
ジャカルタに住む元日本兵の宮原永治さんは、戦場(chǎng)を転々とした後、戦後はインドネシア獨(dú)立戦爭(zhēng)に參加。臺(tái)灣にも日本にも戻らずインドネシア國籍を取得した。橫浜在住の呉正男(ウー?ジョンナン)さんは、陸軍航空通信士として北朝鮮で敗戦を迎え、中央アジアで2年間、捕虜として強(qiáng)制労働をさせられた。
臺(tái)灣に生まれ、臺(tái)灣人として、平穏な人生を送る権利があったはずだ。しかし彼らの口からは、日本を責(zé)める言葉は出てこない。淡々と、時(shí)に明るく、厳しい過去を振り返る?!附瘠馊毡菊Zを話したくなる」という鄭さんは、戦爭(zhēng)に負(fù)けたから「日本人になれなかった」と肩を落とすのだ。日本人として言葉を失う。あの時(shí)代、日本がしたことの大きさに。
東日本大震災(zāi)後、臺(tái)灣は日本に巨額の義援金を寄せた。中國や韓國との関係が悪化する今、臺(tái)灣を「親日」とくくる見方もある。しかし、酒井監(jiān)督は「日本人はわきまえてほしい。彼らがなぜインドネシアや日本にいるのか考えて下さい」と強(qiáng)調(diào)する?!袱膜婆_(tái)灣を日本が統(tǒng)治し、あの時(shí)代を背負(fù)った人が今も生きている?!汉韦趣胜H日な感じがする』ではなく、當(dāng)時(shí)を知ったうえで、臺(tái)灣と向き合ってほしいのです」。(文/遠(yuǎn)海安)
「臺(tái)灣アイデンティティー」(2013年、日本)
監(jiān)督:酒井充子
出演:高菊花、黃茂己、呉正男、宮原永治、張幹男
2013年7月6日、ポレポレ東中野ほかで全國順次公開。
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