工藤 和直 2019年9月13日(金) 21時40分
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即墨(ジーモー)は山東半島の東部、青島市內(nèi)より北へ60kmにある中堅都市だ。春秋時代には斉の支配下にあった。
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即墨(ジーモー)は山東半島の東部、青島市內(nèi)より北へ60kmにある中堅都市だ。春秋時代には斉の支配下にあった。即墨故城は朱毛城とか康王城と稱し、隋開皇16年(西暦596年)に廃城となった(寫真1左)?,F(xiàn)在の平度市古硯鎮(zhèn)大朱毛村一帯である。墨河の近くにあるとういう意味で、“即墨”と呼ばれた歴史的に極めて古い地名である。故城は內(nèi)城と外城の二重で構(gòu)成され、南北5km、東西2.5kmで城壁の幅は40m、高さは5mの土を押し固めた版築式であった。(寫真1右)は1000mほど現(xiàn)存する城壁の土手部である。発掘調(diào)査によると、內(nèi)城には、“金鑾殿”(金の鈴殿)、“梳妝樓”(化粧樓と言う意味)、“點(diǎn)將臺”(大將を指名する臺)、“養(yǎng)魚池”等の遺跡が確認(rèn)されている。1986年には、大型の燕の「明字刀幣」が発見された。
【その他の寫真】
戦國時代の紀(jì)元前284年、燕の將軍「楽毅」は5か國連合軍を率いて斉を攻めた。首都「臨淄」をはじめ70余城が陥落し、斉は滅亡寸前まで追い詰められたが「即墨」と「莒」だけが頑強(qiáng)に抵抗した。やがてこの地で抵抗していた名將「田単」の活躍により、斉は國土を回復(fù)することに成功する。秦代になると即墨県が設(shè)置され南北朝時代に一時廃止となるが、隋代に再び設(shè)置され、この1989年に県級市に改編され現(xiàn)在に至る。
“即墨老酒”と言う黃酒がある(寫真2)。黍(キビ)や小麥を原料にした醸造酒で、黃酒(紹興酒)の部類に入る。紹興酒が18度前後に対し、即墨老酒は11度と非常に飲みやすい。製造地はもちろん即墨である。この酒は名將「田単」が燕との戦いの前に兵士と飲み、勝利したという縁起物の黃酒である。勝負(fù)事がある時或いはお祝いの時に戦國時代に起こった2300年前の故事を思い出し、一獻(xiàn)を友と祝うのはどうであろう。今宵9月13日は中秋の名月でもある。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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