<コラム>日本統(tǒng)治初期、ドイツの青島ビール工場北部の臺東鎮(zhèn)へ日本企業(yè)が進(jìn)出拡大した

工藤 和直    2019年9月22日(日) 22時(shí)30分

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ドイツ統(tǒng)治時(shí)代(1898年~1914年)、青島は「要塞貿(mào)易都市」であったが、日本統(tǒng)治時(shí)代になると「工業(yè)貿(mào)易都市」として大変換を図った。

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ドイツ統(tǒng)治時(shí)代(1898年~1914年)、青島は「要塞貿(mào)易都市」であったが、日本統(tǒng)治時(shí)代になると「工業(yè)貿(mào)易都市」として大変換を図った。その期間は1914年11月~1922年12月までのわずか8年である。ドイツの都市開発は大鮑島區(qū)を北限(現(xiàn)在の膠州路)とし、その北側(cè)は手付かずであった。また産業(yè)として興したのは、青島ビール工場(寫真1)程度であったの対し、日本守備軍はこの地域に「金融地區(qū)」「住宅地區(qū)」そして「臺東鎮(zhèn)工場地區(qū)」、更に北部に「四方?滄口工場地區(qū)」を建設(shè)した?,F(xiàn)在の中山路(靜岡町)を北に向かうと、堂邑路?館陶路(いずれも山東町)になる。その北に大港駅があり、その東の貯水山(若鶴山)にかけて日本人町が形成された。1919年、貯水山に青島神社が創(chuàng)建され、現(xiàn)在の遼寧路(若鶴町)周辺が大きく発展した(參考:青島物語続編)。

その他の寫真

大正4年(1915年)、青島日本守備軍は日本企業(yè)の工業(yè)立地を推進(jìn)するため「都市開発計(jì)畫」を策定、臺東鎮(zhèn)地區(qū)へ企業(yè)誘致を行った。若鶴町(奉天路?吉林路と命名、現(xiàn)在は遼寧路)沿いに日系企業(yè)が展開した。その後、若鶴町から南北に、彌生町(華陽路)?千島町(曹県路)?品川町(青海路)?大川町(昌楽路文化街)?巽町(登州路)?老松町(壽光路)と広がって行った。

1918年(大正7年)青島要覧から當(dāng)時(shí)進(jìn)出した日系企業(yè)名を見る事ができ、現(xiàn)在はどうなっているか現(xiàn)地調(diào)査することにした(地図1)。道路は當(dāng)時(shí)のままで、工場の大半は住居や商業(yè)施設(shè)に変わっている。華陽路交差點(diǎn)南に山東製軸の事務(wù)所跡と思われる建屋がその當(dāng)時(shí)からの石段とともに確認(rèn)できる。遼寧路を東に行くと、日本金屬工所の事務(wù)所棟を見る事ができ、その東に東洋製油會社の工場建屋を確認(rèn)できる。遼寧路対面は現(xiàn)在、青島天幕城となって中に紡績博物館があるが、ここは青島糸廠であった。1929年、青島糸廠閉鎖時(shí)に労働運(yùn)動(dòng)が発生したことが當(dāng)時(shí)の新聞(昭和4年7月21日)に出ている?!盖鄭u糸廠は信州片倉組の分身、日華産糸(株)が母體、中國名青島糸廠、資本金250萬円、大正9年(1920年)7月1日操業(yè)開始、職工1200名。昭和4年7月20日に男工689名、女工74名を解雇したことから労働運(yùn)動(dòng)が始まった」と記載がある。その後、隣接する大日本麥酒會社がこの土地を購入した。

華陽路(彌生町)沿いにも、長瀬青島工場跡や山東火薬工廠の煙突や青魯蝋寸工場跡が確認(rèn)できる。その1ブロック北にタバコ博物館がある。山東葉煙草會社の位置と道路の反対面になる。青島麥酒東隣の大川町に、山東油房跡を見る事ができる。臺東鎮(zhèn)に進(jìn)出した企業(yè)は、主として絹織物産業(yè)と油房(落花生や牛脂から搾油)、マッチ木材、煙草産業(yè)に金屬加工業(yè)になる。

遼寧路が諸城路×臺東路と交わる付近に1915年に中華民國で最初に創(chuàng)建された臺東鎮(zhèn)神社があった(寫真2)?,F(xiàn)在は商業(yè)ビルとなり、神社痕跡を見つけることはできなかった。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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