如月隼人 2019年10月2日(水) 13時20分
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広州白雲(yún)空港で1990年10月2日、ハイジャックされた旅客機(jī)が著陸を試み、操縦室內(nèi)で機(jī)長と犯人が爭ったためにコントロールを失い、他の旅客機(jī)と衝突する事件が発生した。同件で計129人が死亡した。寫真はハイジャックされた機(jī)にぶつけられた旅客機(jī)。
1990年10月2日、ハイジャックされ燃料切れが迫ったアモイ航空8301便旅客機(jī)が広州白雲(yún)空港に著陸した。操縦室では、乗務(wù)員として1人だけ殘されていた機(jī)長と犯人が接地直後に爭いになった。同機(jī)はコントロールを失い暴走し、駐機(jī)場にいた中國西南航空B707型機(jī)と中國南方航空B757型機(jī)に次々に衝突。地上の作業(yè)員も巻き込み、計129人が死亡した。
ハイジャックされたアモイ航空8301便はB737-247型を使用しており、アモイ高崎國際空港(福建省)を出発して広州白雲(yún)國際空港(広東?。─讼颏盲皮い?。離陸したのは午前6時57分で、午前7時20分ごろに乗客の男一人が座席から立ち上がり、操縦室に押し入った。操縦室のドアに鍵はかかっていなかった。
男は臺北に向かうことを要求。手には電線を握っており、爆薬7キログラムを身にまとっているとして、臺北に行かない場合には爆発させて全員を道連れに死ぬと言い出した。男はまた、機(jī)長以外の乗務(wù)員を操縦室の外に出した。
操縦室內(nèi)の様子は白雲(yún)空港の管制室に伝わっており、管制側(cè)はアモイ航空8301便に、どの空港への著陸も認(rèn)めると通達(dá)した。管制は同時に、白雲(yún)空港での他の機(jī)の離発著を禁止した。
アモイ航空8301便は仏山沙包空港(広東?。─紊悉颏筏肖椁丐筏郡ⅳ趣藥谥莅纂?yún)空港に向かい、やはり上空を旋回した。操縦室內(nèi)では機(jī)長が、臺灣まで直接飛ぶには燃料が足りないので、まず香港の啓徳(カイタック)空港に著陸して給油してから臺灣に向かうことを認(rèn)めるよう、男を説得していた。
地上ではアモイ航空8301便が啓徳空港に著陸することを許可したが、男は啓徳空港に向かうことを拒否し続けた。その後、地上と同機(jī)との交信が途絶えた。
その後、アモイ航空8301便は広州白雲(yún)空港に著陸。著地してから1000メートルほど滑走したところで突然バランスを失って滑走路を右にそれ、駐機(jī)場にいた中國西南航空4305便(B707)の機(jī)首部分と衝突し、さらに進(jìn)んで中國南方航空3523便(B757)と衝突した。中國西南航空4305便は成都雙龍空港(四川?。─榈街筏勘悚?、中國南方航空3523便は上海虹橋空港に向けての出発を待っていた便だった。
アモイ航空8301便の機(jī)長はいよいよ燃料切れが近づいたために白雲(yún)空港への著陸を決斷し、著地してからハイジャック犯ともみ合いになったとされている。
一連の事故で、アモイ航空8301便では搭乗していた乗客93人、乗員9人の計102人のうち、乗客75人と乗員7人の計82人が死亡した。白雲(yún)空港への到著便だった中國西南航空4305便では、乗客と乗務(wù)員がすでに機(jī)を離れており、機(jī)內(nèi)にいた清掃員1人が負(fù)傷した。中國南方航空3523便では搭乗していた乗客110人、乗務(wù)員12人の計122人のうち、乗客46人が死亡した。同機(jī)は機(jī)體中央から後ろよりの部分が破壊されたが、乗務(wù)員はハイジャック事件の推移を無線で聞くために操縦室に集合していたため、無事だった。
アモイ航空8301便は暴走する際に地上にいた車両と衝突しており、同車両に乗っていた1人も死亡した。同件における死者は計129人に達(dá)した。
ハイジャック犯は湖南省籍の21歳の男で、死亡が確認(rèn)された。男には竊盜の前科があり、事件発生當(dāng)時は勤め先の會社から商品の仕入れ代金をだまし取って逃走中だった。男は爆発物を所持していなかったことも判明した。
同事件では、ハイジャックされ危険な狀態(tài)にある航空機(jī)が著陸する可能性があるにも関わらず、駐機(jī)していた旅客機(jī)から乗客らを避難させなかった地上側(cè)の危機(jī)対応法が問われることになった。また同件をきっかけに、ハイジャックが発生した場合には旅客機(jī)乗務(wù)員に犯人に抵抗することを特に求めず、乗客と機(jī)體の安全確保を最優(yōu)先させることが徹底されるようになった。
なお、ハイジャックされたアモイ航空8301便の機(jī)體は1988年5月12日にも、アモイから広州に向かう途中でハイジャックされたことがあった。機(jī)長らは二人組の男に刃物で脅されて臺灣に向かい、臺灣空軍の臺中清泉崗基地に著陸した。中國大陸側(cè)の旅客機(jī)がハイジャックされて臺灣に著陸した初のケースだったが、翌日には乗客と乗員の全員が中國に帰還した。
1990年10月2日に発生したハイジャック事件/事故については、資料により航空機(jī)の衝突の狀況や死傷者數(shù)などの説明が若干違う場合がある。
【1990年のその他の出來事】
?東ドイツ?ホーネッカー元國家評議會議長が逮捕(1月)
?バルト3國(ラトビア?リトアニア?エストニア)が獨(dú)立宣言(2-3月)
?ナミビアが南アフリカから獨(dú)立(3月)
?スペースシャトル?ディスカバリーによるハッブル宇宙望遠(yuǎn)鏡打ち上げ(4月)
?南北イエメンが合併に同意(5月)
?ペルー大統(tǒng)領(lǐng)選でアルベルト?フジモリが初當(dāng)選(6月)
?エリツィンがソ連共産黨離黨宣言(7月)
?イラクがクウェートに侵攻(8月)
?ソ連のゴルバチョフ大統(tǒng)領(lǐng)がノーベル平和賞を受賞(10月)
?東西ドイツが再統(tǒng)一(10月)
?サッチャー英首相が辭任(11月)
?ポーランド大統(tǒng)領(lǐng)選でヴァウェンサ(ワレサ)が當(dāng)選(12月)
■筆者プロフィール:如月隼人
1958年生まれ、東京出身。東京大學(xué)教養(yǎng)學(xué)部基礎(chǔ)科學(xué)科卒。日本では數(shù)學(xué)とその他の科學(xué)分野を勉強(qiáng)し、その後は北京に留學(xué)して民族音楽理論を?qū)煿ァH毡兢藨盲皮椁鲜长伽毪郡幛司幖浾撙蚣跇I(yè)とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中國の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。中國については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結(jié)局は得」が信條。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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