工藤 和直 2019年10月1日(火) 23時50分
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蘇州に長期滯在を始めたのは2003年4月頃であった。ある日、ホテルの前に留まる2階建ての68番公共バスに興味を覚えた。
蘇州に長期滯在を始めたのは2003年4月頃であった。當(dāng)時新會社の土地契約で蘇州に來たが、ちょうどSARS(重癥急性呼吸器癥候群)が流行して片道切符でやって來た。當(dāng)時は日本に戻ると1週間はホテルに缶詰め狀態(tài)になり、発熱が無かったら會社や家に戻れた。多くの死者が出た大変な時代であった。
ある日、ホテルの前に留まる2階建ての68番公共バスに興味を覚えた。フロントで聞くと最初に1元(當(dāng)時15円)払い、降りたい停留所で降りれば良いと言う実に簡単な説明、蘇州市街地図を渡され「ここに路線バスの経路が書いてあります。それを參考に好きな所に行きなさい」とアドバイスもらった。最後に「スリが多いから注意してね」も念押しのように聞いた。まさか、その2年後にバスの中で攜帯電話のスリに會うなどその時は想像もしなかった。
蘇州で公共バスに乗ることは初めてではない。初めて訪問した1987年、蘇州駅前から9番のバスで、城內(nèi)西にあたる姑蘇橋から更に行った終點の雅都ホテルまで行った記憶がある。30年前はバスの番號は一桁だけだった。今では900番臺もあり、その経路は縦橫に走り複雑化したが、運転手の対応や乗客の反応は全然変化が無いと思った。
手には地図と水を持って、憧れの2階建てバスに乗ることにした。勢いよくバス停に突っ込んで來るバスに、タックルでもしようとバスに近づく乗客にはびっくりした。近づいたバスはバス停前で左にハンドルを切り、ドア門がバーンと開いた。乗客は我先に走って勢いよく乗り込む。1元硬貨の音が響く。郷に入れば何とかで真似しながら走り乗り込んだ。ロンドンの2階建てバスとはまったく違い、階段は急でしかも暗い。2階の前面(運転席の真上)に行き、何とか座ったのは良いが、道路に植えてある樹木の枝々にぶつかりながら、しかも急発進(jìn)に急停車に恐怖も感じたが、次第に慣れてきた。
68番バスは、高新區(qū)から園區(qū)の金鶏湖北まで約1時間の行程であるが、これで料金1元なのかと日本との違いに驚かされた?,F(xiàn)在は68番2階建てバス運行は無くなり、きれいな一階建てエアコン付き電気バスになり、料金も2元になった(寫真1は當(dāng)時の68番バス)。
一番乗り甲斐のある路線は69番バスである。蘇州駅をスタートし、市內(nèi)から高新區(qū)を通り南下して霊巖山の橫を通り伍子胥の墓を見ながら太湖に至る。その後、右に太湖ゴルフ場を見ながら西山に行く橋をいくつか越えて、梅林だらけの林屋洞を過ぎ最終地の石公山に著く。時間にして1.5時間以上はかかる長旅であるが、料金は5元(75円)である。
その後、公共バスに乗ることが楽しみになり、全路線制覇の夢(全部で900路線)を今も持って継続中である。蘇州駐在14年を過ぎ、休日はいつもBMW(Bus?Metro?Walking)で體力作りが続いている。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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