オリンピック精神の原點とはかけ離れた東京の五輪招致―中國有識者

Record China    2013年8月6日(火) 15時10分

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5日、近頃、參議院選挙と同様に熱気があるのが東京都による2020年夏季五輪招致活動だ。資料寫真。

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2013年8月5日、近頃、參議院選挙と同様に熱気があるのが東京都による2020年夏季五輪招致活動だ。街のあちこちに貼られた宣伝ポスターに加え、注意深い人なら多くの政治家が長方形で白地に花輪の図案をあしらったバッジをスーツにつけているのに気がつくはずだ(もう1つは拉致被害者を救う會のブルーリボンバッジ)。スペインのマドリード、トルコのイスタンブールとの五輪招致合戦のため、日本は史上最強(qiáng)とされる招致団を結(jié)成した。史上最強(qiáng)と稱するのは実際、過言ではない。五輪招致委員會の名簿を見れば一目瞭然だ。會長は豬瀬直樹東京都知事で、委員、議長、顧問のリストが長々と続き、政財界や學(xué)界を含む日本各界の名士が名を連ね、全閣僚も加わっている。(文:趙剛(ジャオ?ガン)中國社會科學(xué)院日本研究所日本問題専門家)

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7月2日、日本政府はスイスで行われた五輪招致プレゼンテーションに麻生太郎副総理兼財務(wù)相を団長とする強(qiáng)大なロビー団を派遣した。會長を務(wù)める豬瀬都知事の日本式英語がIOC委員を疲れ果てさせることを懸念してか、またフランス語圏のIOC委員の好感を得るために、日仏混血の美人アナウンサー、滝川クリステル氏を特別に加え、フランス語でプレゼンテーションを行わせた。日本での報道の表現(xiàn)を借りるなら、プレゼンテーションは素晴らしい効果を上げた。

◆日本は1940年と1964年の過去2回、夏季五輪招致に成功している。

まず1940年の東京五輪招致を振り返ろう。時は1936年7月。當(dāng)時の日本は第一次世界大戦戦勝國としての威風(fēng)があり、五輪招致を成功させねばと強(qiáng)く決意していた。その年の候補(bǔ)國は日本、イタリア、フィンランドだった。競爭相手を減らすため、日本側(cè)は舞臺裏で數(shù)多くの活動を展開し、最終的にファシストの獨裁者ムッソリーニを直接説得して、イタリア(ローマ)に五輪招致を撤回させることに成功し、36:27でフィンランド(ヘルシンキ)に勝った。日本は同年の札幌での冬季五輪開催権も獲得した。だが1940年の五輪は最終的に開催できなかった。原因は簡単だ。IOCが東京五輪開催を決定した翌年の1937年7月7日、日中間で「盧溝橋事件」が起き、日本軍の中國侵略より引き起こされた日中戦爭が全面的に勃発したからだ。日本はこの戦爭のために世界で孤立し、経済的にも五輪開催の負(fù)擔(dān)を擔(dān)えず、やっとのことで獲得した五輪開催権を最終的に返上した。

だが1940年の幻に終わった五輪が一部の日本人にとって心から消し去ることのできない悲しみであるというよりも、現(xiàn)在のより多くの日本人は1964年の東京五輪しか知らないといった方がより的確だろう。

周知のように、戦後の日本経済のテイクオフは3段階を経た。まず1954年から1961年の第1期は設(shè)備投資が経済発展を牽引した。1962年から1965年の第2期では経済モデルの転換に成功した。1965年から1973年の第3期には輸出が経済を牽引し、1968年には西ドイツを抜いて世界第2の経済大國となった。この座は2010年に中國に追い抜かれるまで42年間維持した。

高度経済成長の奇跡を伴った1964年の東京五輪は、多くの日本人にとって誇らしい輝ける過去だ。そして1940年の東京五輪が忘れ去られたことは、日本が第2次大戦前後の歴史をぼかすことを克明に示してもいる。

日本経済は1990年代初めのバブル崩壊以降再起不能となり、1955年から長期政権の座にあった自民黨も1993年に下野した。日本は経済、政治両面で不安定な狀況に陥った。これがいわゆる「失われた10年」、より正確に言えば失われた20年である。

1964年の東京五輪は多くの日本人の心の中で、戦後の高度経済成長を象徴する記念碑的な意義を持つ。そして長期的な経済低迷にある日本は庶民を再び奮い立たせる契機(jī)を必要としている。そこでオリンピックは、一部政治屋によって手中の「政治資源」と見なされるようになった。

昨年末、自民黨內(nèi)の保守派を中心とする政治勢力が衆(zhòng)議院総選挙で勝利し、政治舞臺の中心に返り咲いた。まさに自民黨の選挙スローガン「日本を、取り戻す」のように、昔日の威風(fēng)を取り戻すことが保守勢力共通の目標(biāo)となったようだ。2020年夏季五輪の招致はこうした背景のもとで進(jìn)められたのだ。日本の2020年五輪招致オフィシャルサイトでは特別に大きな文字がことのほか目を引く。「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」というもので、続けて「オリンピック?パラリンピックは夢をくれる。夢は力をくれる。力は未來をつくる。私たちには今、この力が必要だ。ひとつになるために。強(qiáng)くなるために。ニッポンの強(qiáng)さを世界に伝えよう。それが世界の勇気になるはずだから」とある。

オリンピック憲章は「根本原則」で「オリンピック?ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢獻(xiàn)することにある」と明確に表明している。

両者を比べてみると、大きくかけ離れているのは明らかだ。近代オリンピックの趣旨は「平和、友情、進(jìn)歩」だ。ビジネスとリンクせず、政治利用されないオリンピックこそがオリンピックの精神と原則を真に體現(xiàn)することができる。

2008年北京五輪のスローガンは「One World,One Dream」、2012年ロンドン五輪のスローガンは「Inspire a generation」だった。両五輪の舞臺は主催側(cè)が世界各國に提供し、世界各國が共同で創(chuàng)造し、最終的に全世界の認(rèn)可を得られたものであることは明らかだ。

「オリンピックの夢」は全世界の夢、全人類共通の夢であるべきだ。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/ NA?編集/武藤)

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