日本僑報社 2019年10月19日(土) 12時20分
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「大學時代の一番の思い出」は何? 北京科技大學の武田真さんにとってそれは日本人の先生との出來事、しかも「嫌な思い出」だった。
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「大學時代の一番の思い出」は何? 北京科技大學の武田真さんにとってそれは日本人の先生との出來事、しかも「嫌な思い出」だった。それはなぜか。以下は武さんの作文。
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あれはまだ大學に入學して間もない冬の日で、窓の外は大雪が降っていました。井田先生は私たちの発音授業(yè)の擔當で、その日は日本人留學生を呼んで交流會を開いてくれていました。留學生と何を話せばいいか分からず、少し退屈になった私は留學生に隠れて機の下でスマホをいじっていました。すると、背後から急に手が伸びてきて、先生にスマホを取り上げられてしまいました。無言でスマホを持ち去った先生を私は慌てて追いかけました。
「ごめんなさい。許してください」
「謝るなら、僕じゃなくて留學生に謝りなさい! 大雪の中、わざわざみんなと交流しに來てくれたんですよ」
その言葉は私の胸にズシリと重くのしかかりました。私は留學生の気持ちも、先生の気持ちも全く考えずにスマホをいじっていたのです。自分がすごく失禮なことをしていたことが分かり、私は自己嫌悪に陥りました。そして先生にもひどく嫌われてしまったと思いました。
予想に反し、翌日から井田先生は何もなかったかのように接してくれ、熱心に指導をしてくれました。でも、私はいつもスマホ事件のことが気になっていました。積極的に話すことができなくなり、手伝ってほしいことがあっても自分で解決するようになりました。井田先生にもっと指導してほしかったのに、迷惑になるかもしれないと思って言い出せません。そうしているうちに時間が経ち、井田先生は二年生の終わりに突然大學の仕事を辭めて日本に帰國してしまいました。
それから半年が経った今年の冬休み、私は広島大學の文化研修に參加することになりました。私は勇気を出して井田先生に連絡(luò)しました。すると、島根に住んでいる先生はわざわざ広島まで會いにきてくれました。
一緒に広島観光をした後、私たちは夕食を食べに居酒屋に入りました。私はそこで今まで先生に聞きたかったことをたくさん聞きました。そして、私は最後に一通の手紙を先生に渡しました。
「先生は私が一年生の時、交流會でスマホをいじっていたことを覚えていますか?留學生に謝りなさい!その言葉を聞いて、私は相手の気持ちを考えるようになりました。先生は私が嫌いかもしれませんね。でも、私はもっと先生と話したかったです」
読み終わった先生の顔に笑みがこぼれました。
「やっと素直に自分の気持ちを話してくれましたね、本當にうれしいです。大丈夫、僕は嫌ってなんかいませんよ。武さんは僕にとってとても大事な學生です」
今まで胸の奧でずっと消えなかった痛みが一気になくなりました。そして、先生は見送りにきてくれた広島駅で、最後にこんな言葉をかけてくれました。
「僕は日本に帰りましたが、いつでも頼っていいんですよ。武さんは僕に頼ることが迷惑になると思っていませんか?大事なことは相手に迷惑だと感じさせない関係性を築いていくことです。僕は武さんのお願いを迷惑だとは思いません」
先生の言葉を聞いて、私の頬には涙がこぼれ落ちてきました。今までずっと自分一人で頑張ってきた私は急に気持ちが楽になったような気がしました。相手の気持ちを考えるとは、相手に頼ってはいけないという意味ではなく、心を開いてお互いに理解したり、思いやったりすることだと分かりました。
あの日以來、私は井田先生とよくチャットや電話をするようになりました。勉強のことも日常のことも、今では何でも話せます。スマホ事件は私にとって嫌な思い出でした。でも、今は良い思い出です。なぜなら、あの事件がなければ、私は井田先生とこんなに仲良くなれていなかったからです。(編集/北田)
※本文は、第十四回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「中國の若者が見つけた日本の新しい魅力」(段躍中編、日本僑報社、2018年)より、武田真さん(北京科技大學)の作品「留學生に謝りなさい!」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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