野上和月 2019年10月21日(月) 23時(shí)20分
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中國(guó)本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯條例改正案」に反対する6月の大規(guī)模デモに端を発した抗議活動(dòng)が今も続く香港。內(nèi)容こそ異なるが、1997年の中國(guó)返還直前に市民が中國(guó)に対して抱いていた不安や複雑な心境、目まぐるしく動(dòng)いていた毎日を思い出す。
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私は、香港の中國(guó)返還を見たくて95年に香港にやってきた。きっかけは、上海、北京、西安、広州と中國(guó)國(guó)內(nèi)を巡って、香港にたどりついた87年春の旅だった。
當(dāng)時(shí)の中國(guó)は、悠久の歴史を感じつつも驚きの連続だった。路上で地図を広げれば、聞いてもいないのに市民が勝手に地図を指して喋り出す。鉄道駅で名刺大の薄型電卓を取りだすと、瞬く間に人だかりができた。外國(guó)人は、兌換券を使う時(shí)代で、外國(guó)製品を売る友諠商店では兌換券か外貨でないと買い物ができない。私が外國(guó)人と分かると、中國(guó)人が寄ってきて手持ちの人民元と交換してほしいと懇願(yuàn)された。
一方の香港。下町っぽさと都會(huì)的な場(chǎng)所が混在していた。香港島セントラルのオフィス街には、英國(guó)旗のユニオンジャックがはためき、背広姿の香港人が西洋人と肩をならべてさっそうと歩いていた。中洋折衷のエキゾチックな都市はなんとも不思議で魅力的だった。その約2年後の6月4日、旅行で歩いた北京の天安門広場(chǎng)で、「天安門事件」が起きたことに衝撃を受けた。
貧しくて発展途上の中國(guó)が、國(guó)際都市?香港の母國(guó)として復(fù)帰する。資本主義の香港が、社會(huì)主義?中國(guó)の一都市になる。香港にどんな未來が待っているのか、市民目線で見てみたいと思った。
あれから約30年。今の中國(guó)は、私が見た當(dāng)時(shí)とは別の國(guó)のような経済大國(guó)に発展した。返還後「一國(guó)二制度」の下で歩み始めた香港は、中國(guó)への経済的な依存度が高まり、中國(guó)化が進(jìn)んでいる。中國(guó)との力関係も逆転した。
しかし、香港には、中國(guó)にはない自由を愛する風(fēng)土が依然として根強(qiáng)くあり、多様性を認(rèn)める寛容さがある。60年代後半に中國(guó)で起きた文化大革命で本土から逃れてきた人が、香港のアパレルや映畫産業(yè)の礎(chǔ)を築くなど、移民の都市でもあるから、私のような外國(guó)人にも広く門戸を開放している。世界中から人もお金も集まってきて、繁栄してきた。
今回の抗議デモでは、平和な時(shí)には気づかなかった香港社會(huì)の複雑さも見えてきた。香港がこの先、中國(guó)との関係でどのように変化していくのか。香港らしさは今後も維持できるのか。そんなことを念頭におき、市民の聲に耳を傾けながら、香港の日常で起きている様々なことを伝えていきたいと思う。(了)
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長(zhǎng)を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國(guó)と香港を旅行し、西洋文化と中國(guó)文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國(guó)返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。 ブログ:香港時(shí)間インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89
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