<在日中國人のブログ>香港と大陸、互いに「仰視」でも「俯瞰」でもなく、直視してほしい

黃 文葦    2019年11月1日(金) 10時(shí)10分

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19日、私は香港へ行った。周知のように、現(xiàn)在香港の情勢(shì)には緊迫感があったようだが、日本外務(wù)省から渡航禁止令が出されていないため、香港に行く日本人が多いそうで、その日、香港航空の飛行機(jī)はほぼ満席だった。

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二十?dāng)?shù)年前、知人が親族訪問のために香港へ行った。その時(shí)、中國大陸の人々にとっては、香港へ行くことは稀有であった。周りの人は彼女を羨ましく思った。彼女が香港から戻って、その時(shí)話した一言を私はいまだに克明に覚えている。「香港の街を歩くと、いつも見上げている。立派な高層ビルが多すぎるから」。その頃、大陸の人は香港を仰ぎ見ていた。そして、心から香港に憧れていた。

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日本に來る前の年、私は初めて香港へ行った。芳醇な資本主義の匂いにたいへん新鮮感を覚えた。そして、日本留學(xué)を決めた。日本に來てから、私は毎年香港に行くようになった。

今年10月19日、土曜日、私はまた香港へ行った。周知のように、現(xiàn)在香港の情勢(shì)には緊迫感があったようだが、日本外務(wù)省から渡航禁止令が出されていないため、香港に行く日本人が多いそうで、その日、香港航空の飛行機(jī)はほぼ満席だった。

午後4時(shí)半に香港空港に到著、いつもより靜けさを感じた。やっぱり観光客が減っていたと考えられる。市內(nèi)と結(jié)ぶ「機(jī)場(chǎng)(空港)快線」の列車に向かう途中、駅のスタッフさんが「早く乗ってください。5時(shí)を過ぎたら、九龍駅には止まりません。終點(diǎn)にだけ止まります」と言った。幸い、5時(shí)前の列車に間に合った。九龍駅でタクシーに乗るのにいつもより時(shí)間がかかった。以前はタクシーの列ができて、乗客を待っていた。今回はタクシーがなかなか來ず、乗客を待たせていた。今回の香港の旅では、最初に交通事情に違和感を覚えた。

街を歩くと、多數(shù)の落書きが目に入った。その中には罵聲のようなものもあった。しかも字が汚い。國際大都市の顔が傷つけられたのではないかと複雑な気持ちになった。街では中國語がほとんど聞こえなくなった。この數(shù)カ月、大陸の人が香港へ行かなくなったらしい。

翌日、日曜日。マスコミの友達(dá)が「今日デモの目的地は西九龍駅らしい」と知らせてくださった。午前、友達(dá)と一緒に西九龍駅に向かった。西九龍駅は大陸と結(jié)ぶ列車の起點(diǎn)である。大勢(shì)のマスコミと警察がすでに待機(jī)している。なんとなく切迫した空気に包まれる。まるで昔観た香港警察ドラマのシーン。これが香港の現(xiàn)実になるとは思いもしなかった。

その後、デモ隊(duì)の進(jìn)行方向が変わった。西九龍駅に來なくなり、尖沙咀(チムサーチョイ)と旺角(モンコック)の周りで行動(dòng)するらしい。攜帯でデモの生中継を観る。街の中に障害物が置かれたり、火が燃えているのを目にした。その光景に心を痛めた。バスに乗って旺角のホテルに戻ろうとしたところ、デモの影響でバスがすでに動(dòng)けないという情報(bào)を周りの人が教えてくれた。仕方なく、迂回路線で地下鉄に乗って戻った。ホテルでテレビをつけて驚いた。自分が直前に出ていた旺角駅の出口がすでに閉鎖されている。しかも、火が燃えている。心が震えた。どんな政治的立場(chǎng)の人間でも、いかなる場(chǎng)合も、法治を守ってほしい。暴力は許されないだろう。

この數(shù)カ月、香港の交通機(jī)関、特に地下鉄が大きな試練を與えられている。多くの地下鉄出口にはオレンジ色のテープが張られている?!格kの部分施設(shè)が破壊されて、しばらく使えません。なるべく早めに施設(shè)を修復(fù)します。あなたの理解に感謝します」、壁には丁寧な公示文がある。香港の友達(dá)から聞いたのだが、駅がどんなに破壊されても、夜中、スタッフたちがなるべく翌日通勤する人たちに不便をかけないように一生懸命修復(fù)する。

街では感動(dòng)することも見つけた。破壊された中國系の店に、數(shù)枚の香港ドルの紙幣と一枚の付箋が紐に結(jié)ばれてドアの前に置かれていた?!笟莩证沥肖辘扦工?、お受け取りください」と書かれている。

いつも混雑する香港のレストランだが、今回はちょっと空いている。私は友達(dá)と一緒に「莆田」という福建料理屋で食事をした。故郷のブランド料理、たいへん美味しかった。お?jiǎng)幛幛筏郡?。交通事情など多少不便はあったが、緊迫な狀況の中でも、香港サービス業(yè)界の「質(zhì)」は下がらない。ホテルのスタッフも親切にお客さんに対し、「○○地域では、現(xiàn)在デモが行われています。急用がなければ、その地域へ行かないほうがいいです。何かありましたら、私たちにご連絡(luò)ください」と知らせた。

香港旅の翌週の週末、私は上海へ行った。上海でエリートの友達(dá)と香港の今について話し合った。「香港人の家は狹すぎる。20~30年たっても変わってない。香港人はかわいそうだ」「香港の失業(yè)率は低いではないか、3%以下だと香港マスコミが報(bào)道した。若者たちは何が不満なのだろうか。仕事がなければ、大陸に來ればいい」。そのような大陸の人々の言葉を聞いたら、現(xiàn)在彼らがもはや香港を「仰視」していないことが分かった。むしろ、ちょっと「俯瞰」しているように垣間見えた。

30年前、香港は世界と繋がる重要な経済貿(mào)易の「窓口」だったが、現(xiàn)在は世界と直接対話できる「窓口」としての中國の都市がたくさんある。つまり、香港の優(yōu)位性が失われ、上海?深センなど中國の大都市に取って代わられると予測(cè)されている。

逆に、この20~30年、香港人が大陸に対し、どのような心境の変化があっただろうか。香港と大陸、互いに「仰視」でも「俯瞰」でもなく、直視してほしい。これから、平等に向き合って、助け合えばいい。

大陸と比べて、自由?民主?公正な競(jìng)爭(zhēng)など香港の優(yōu)位性は失われていないと思う。そこが私が香港を好きな一番の理由である。街で、黒いTシャツを著て、黒いマスクをつける群れの若者たちとすれ違った際、「あなたたちはどこから、そしてどこへ?」と聞きたくなった。また、「あなたたち、ぜひ周りに聲をかけて、街の中に落書きをしないようにしていただきませんか」と、香港を愛する一人の人間の聲を?qū)盲堡郡ぁ¥饯筏?、香港が一日も早く平和な普通の香港に戻ってほしい?/p>

■筆者プロフィール:黃 文葦

在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ贰I國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場(chǎng)を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任。現(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。

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