<コラム>「レノンの壁」で花開くサブカル?アート

野上和月    2019年11月7日(木) 20時20分

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「逃亡犯條例改正案」に端を発した大規(guī)??棺hデモが6月から続いている香港。過激なデモ隊の破壊活動に焦點が當(dāng)てられがちだが、注目したいのが街の至るところに出現(xiàn)した「レノンの壁」で繰り広げられている、新たな香港の世界だ。

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「逃亡犯條例改正案」に端を発した大規(guī)??棺hデモが6月から続いている香港。過激なデモ隊の破壊活動に焦點が當(dāng)てられがちだが、注目したいのが街の至るところに出現(xiàn)した「連儂牆(レノンの壁)」で繰り広げられている、新たな香港の世界だ。

その他の寫真

「連儂」はレノンの広東語読みで、ジョン?レノンを指す。「牆」は壁を意味する。「レノンの壁」は1980年代に共産主義體制にあったチェコスロバキアで、若者たちがレノンの死をしのんで哀悼の意を記した壁のこと。當(dāng)時の政府への反対と自由のシンボルと言われている。

その「レノンの壁」の香港版が、今回のデモ活動で圧倒的な存在感を発揮している。最初に香港で出現(xiàn)したのは2014年。普通選挙の実現(xiàn)を求めて若者らが道路を占拠した「雨傘運動」の時だ。香港政府の本庁舎があり、最大の占拠場所となった香港島?金鐘の一角に、市民が民主化を訴えるメッセージを書いて貼りつけた。ただの地味な壁は、想いが込められたカラフルな壁に変わった。

今回は、エリアの広がりだけでなく、地下道や歩道橋の壁、路上の柱など、ちょっとした空間が「レノンの壁」と化した。地面や天井さえ“壁”扱いだ。

最初の頃は、付箋とペンが常備されていて、市民が通りがかりに想いをつづった?!赣陚恪工螘rのように、書いて貼ったり、読んだりすることで一體感を感じていたのだろう。しかし、一方でこれを目障りに思う市民が、せっせと付箋を剝がしにかかる。

剝がされたら新たに貼る。貼られたらまた剝がす、というイタチゴッコが続く中で、主流は、剝がれやすい付箋から、糊付けされたA4サイズのポスターやイラスト付きメッセージなどに変わっていった。巨大ポスターも登場し、個人の想いを寄せていた壁は、風(fēng)刺やユーモアに富んだメッセージ性の強(qiáng)い、より普遍的な表現(xiàn)の場となっていった。その內(nèi)容や完成度は、もはや“サブカルチャーの作品”の域。蕓術(shù)性の高いポスターや笑いを誘う作品の前では、通りがかりの市民が熱心に寫真を撮るほどだ。頻繁に剝がされるので、作品はどんどん更新されるし、最新のデモの予定表を貼り付けて參加を呼びかける情報発信基地にもなっている。

かつて香港人にこれほどの絵心はなかった。私が知る40代の香港人たちは、絵を描くことが大の苦手で、必要な時は本を見て模寫していた。何事も早さや効率を優(yōu)先し、コピー文化が橫行していたからだと思うが、今の香港の若者は獨創(chuàng)的で発想も表現(xiàn)も豊かだと実感する。絵もうまい?!弗欹违螭伪凇工?、香港への愛、政府への要求や抗議、デモ情報などが詰まっていて、市民の心の叫びが迫って來る迫力がある。そしてそこには、次はどの壁を観に行こうかと思わせるアートの世界も広がっている。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業(yè)経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機(jī)関に勤務(wù)。1987年に中國と香港を旅行し、西洋文化と中國文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中國返還を見たくて來港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執(zhí)筆。読売新聞の衛(wèi)星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、寫真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
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