時(shí)に現(xiàn)実よりもリアルな書籍の中の日本―中國メディア

Record China    2013年8月22日(木) 6時(shí)20分

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21日、改革開放以降、中國人はあらためて扉を開き世界を見た。歐米化の波にさらされることは問題とならないのに対し、日本に目を移した途端、歴史的なわだかまりを払拭できない人は多い。資料寫真。

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2013年8月21日、改革開放以降、中國人はあらためて扉を開き世界を見た。歐米化の波にさらされることは問題とならないのに対し、日本に目を移した途端、歴史的なわだかまりを払拭できない人は多い。しかし、この隣國に対して抱く個(gè)人的見解の如何にかかわらず、それは真の理解の基礎(chǔ)の上に構(gòu)築されなければならない。成都商報(bào)が伝えた。

その他の寫真

■我々は本當(dāng)に日本を理解しているのか?

中國人は當(dāng)然、ある程度日本のことを理解している。都市で働くOLはイラストレーターのたかぎなおこが描く日本が好きだ。文學(xué)的若者、プチブルは村上春樹の描く日本を好む。日本旅行に行った人達(dá)は、帰國後は大概、日本がいかに清潔か、あるいは日本での買い物は値切れないと話す。

■過去の知日派の困惑

日清戦爭で大國?清は敗戦、中國人は日本を再認(rèn)識(shí)し、島國に學(xué)ぶべきものがあると感じた。1898年の戊戌の政変(百日維新)失敗で、民國初の政治家?梁啓超(リャン?チーチャオ)は日本に亡命した。清朝が覆される過程で、無數(shù)の人が革命を志し、日本を革命の拠點(diǎn)とした。激動(dòng)の時(shí)代に距離的に近く、渡航費(fèi)も手軽なことから、多くの青年が日本に留學(xué)した。うち、もっとも著名なのは無論、魯迅(ろじん)、周作人(ジョウ?ズオレン)の周氏兄弟だ。

現(xiàn)代中國人が書籍で描いた日本は、大きく分けて3つの段階に分けられる。清代末期の黃遵憲(ホアン?ズンシエン)、梁啓超らが発端であり、日本がなぜ大國?清に戦勝できたかを主軸に日本を観察、學(xué)習(xí)する態(tài)度を示した。魯迅、周作人は第二世代の代表で、日本での學(xué)習(xí)?生活は非常に長く、日本語は流暢で、帰國後の中國で新文化運(yùn)動(dòng)に攜わった。これらの作家の著作の根底には、日本文學(xué)の影響が見られる。

新中國成立後、1972年に日中國交正?;蠈g現(xiàn)したが、一般人の訪日は、改革開放まで待たなければならなかった。一方、日本語學(xué)科がつぎつぎに開設(shè)され、日本への留學(xué)生も増え始めた。この世代になると日本を記したものは非常に多いが、この世代は「裸眼で日本を見る」ことは難しい。いわゆる裸眼とは、先入観や色眼鏡を捨てたものだ。見下すわけでもなく、敬うわけでもない。非常に深く掘り下げて理解する一方、客観的に割り切ることも出來る。

■複雑になるほど見えてくる真実の「日本」

現(xiàn)実の中の日本人女性には武士道精神が時(shí)折見受けられる。日本人女性のダンスはしなやかだが、まるで吠えているかのような太い聲で歌をうたう。近年女の子の名前には「凜」が多く用いられている。「威風(fēng)凜凜(威風(fēng)堂々)」の「凜」だ。

裸眼で日本を見た際に、発見するのは複雑な日本であり、よりリアルな日本である。たとえば蕓者だ。日本で伝統(tǒng)文化を継承する誇り高き人達(dá)は、大いにもてはやされるべきだが、実際には早くに衰退した。今や大枚をはたいて蕓者を呼ぶ日本人がどれほどいるのか?大相撲観戦もしかり。一般市民は自宅に閉じこもり、テレビを見ているだけだ。

たとえば武士道?!该褡逯髁xが強(qiáng)調(diào)されていた時(shí)代。長い間積まれたままの古書から探し出され日の目を浴びた武士道を唱える言葉は、國民道徳に當(dāng)てはめられ、西歐列強(qiáng)に対抗するために利用された。これ以降、武士道は不斷に隨意加筆され、必要な際に適宜取り上げられ、まことしやかに述べられた。武士道に関する論説主張は、武士道とはいかにあるべきかを説くと同時(shí)に、人々にそれが真のあるべき姿であると誤解させた。日本人は感動(dòng)し、自らを武士道伝承者とみなしているが、それは小説や芝居の文學(xué)創(chuàng)作にすぎない…。(ああ、案の定、冷めた目で傍観する語り口だ。)

上記の3點(diǎn)はいずれも、在日作家?李長聲(リー?チャンション)氏の著作「紙上聲」の一節(jié)にすぎない。しかしこれが単に日本の蕓者と武士道を記した本だと誤解しないでほしい。主要な內(nèi)容は日本文學(xué)についてであり、芥川龍之介、夏目漱石、太宰治ら日本の文豪の姿が、李長聲氏の筆によってそれぞれ見事に甦っている。

「紙上聲」は魯迅の詩、「文を弄して 文網(wǎng)に罹(かか)り 世に抗して 世上に違う 積りし毀(そし)りは 骨を銷(とか)すべく 空しく留む 紙上の聲」が由來となっている。この詩は、魯迅がある日本人に小説集「吶喊」を贈(zèng)った際に題したものだが、李長聲氏の文章は決して魯迅の「吶喊」から學(xué)んだものではなく、周作人から學(xué)んだものである。彼は芥川龍之介の自殺についても記している?!附娲à稀褐車欷厢hい。自己も醜い。そしてそれを目の當(dāng)たりに見て生きるのは苦しい』と感じた。振り返って中國の作家を想うと、彼らは周りの醜さだけを見て、己は活き活きと暮らしている。存分に生き抜き、小さな苦しみにもほんのりした甘さを攜えて」―芥川についての章題は「芥川は諦めに似た沈黙だった」とある。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/HT?編集/武藤)

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