Record China 2019年11月16日(土) 0時(shí)0分
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華字紙?日本新華僑報(bào)はこのほど、「同じく開(kāi)國(guó)を迫られながら、日本はなぜアヘンの害を避けられたのか」と題する記事を掲載した。資料寫(xiě)真。
華字紙?日本新華僑報(bào)はこのほど、「同じく開(kāi)國(guó)を迫られながら、日本はなぜアヘンの害を避けられたのか」と題する記事を掲載した。
記事はまず、イギリスと清によるアヘン戦爭(zhēng)(1840~42年)の発端について、「イギリスでは茶や生糸の需要が増大し、中國(guó)からの輸入が増加した一方で、清ではその対価であるイギリスの絹織物や綿製品が売れず、イギリスは貿(mào)易赤字になった。そうした狀況を解消するため、イギリスは、中國(guó)人にアヘンを売りつけるという邪道な考えを思いついた」とした。
そして、「イギリスがそれまでの年に銀200萬(wàn)~300萬(wàn)両の貿(mào)易赤字から銀600萬(wàn)両の貿(mào)易黒字へと華麗な転身を遂げたのに対し、清は『東アジアの病人』となり、國(guó)と國(guó)民は満身創(chuàng)痍(そうい)で、アヘン戦爭(zhēng)に敗れたのも必然の結(jié)果だった」とした。
その上で、日本がアヘンの害を避けられた3つの理由として、「アヘン戦爭(zhēng)が1840年に始まったのに対し、黒船來(lái)航はその13年後の1853年であり、清がアヘンによって東アジアの病人となり、イギリス人に打ちのめされるのを目撃し、イギリスとアヘンの恐ろしさをすでに理解していたこと」「清の鎖國(guó)政策に比べて、江戸幕府は西側(cè)列強(qiáng)に屈して市場(chǎng)開(kāi)放を選択したため、イギリスも相互利益の観點(diǎn)から、日本にアヘンを強(qiáng)制的に売りつけるような考えを持たなかったこと」「幕府がアヘンの密輸を受けて規(guī)制を強(qiáng)化し、法を犯した者を流罪や死刑に処するようにしたこと」を挙げた。
3點(diǎn)目については、「日本の歴史學(xué)者の中には、當(dāng)時(shí)の日本は武士社會(huì)であり、アヘンの誘惑に抵抗できたのは武士の強(qiáng)い精神によるところが大きいとの見(jiàn)方をする人もいるが、當(dāng)然のことながら命のほうがより大事なのであり、武士道精神とは全く関係がない」とした。
そして最後に、「日本ではカタカナで『アヘン』、漢字の場(chǎng)合は『阿片』と表記するが、この読み方は(中國(guó)語(yǔ)の漢字の音で當(dāng)てはめると)『阿恨(アーヘン)』となる。実際のところ、『恨』という字は當(dāng)時(shí)の清の人々にこそふさわしいものだ」と結(jié)んだ。(翻訳?編集/柳川)
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