工藤 和直 2019年11月21日(木) 23時40分
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青島市黃島區(qū)から南50km、海沿いにある瑯琊臺(ランヤタイ)は美しい自然に囲まれ、非常に風光明媚な場所だ?!干?、海、古、俗、仙、奇、美」が揃った獨特の面白さがある。
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青島市黃島區(qū)から南50km、海沿いにある瑯琊臺(ランヤタイ)は美しい自然に囲まれ、非常に風光明媚な場所だ?!干?、海、古、俗、仙、奇、美」が揃った獨特の面白さがある。風景區(qū)には「瑯琊臺」、瑯琊臺の下にある「龍灣」、瑯琊臺を取り巻く「沿海風景帯」、瑯琊臺の前には「斎堂島」という見所がある?,樞芭_には「望越樓」?「御路階段」?「徐福殿」?「観龍閣」などの歴史遺跡物がある。
【その他の寫真】
「瑯琊臺」は2200年以上の昔、古代人が瑯琊山に土を60m押し固めて築いたもので、三面を海に囲まれ臺のような形をしているため、瑯琊臺と呼ばれた。海抜183mであるが、元々は60m低かったことになる?,樼鹋_前の古瑯琊港は秦皇島?芝罘(煙臺)?會稽(紹興)?寧波とあわせ中國五大古港の一つである。古瑯琊港は中國古代海港として最初のもので、軍港としても當時最大規(guī)模であった。また秦の方士「徐?!工瑪?shù)千の少年少女を率い、不老長壽の薬を求めて日本に渡ったといわれる起港地でもある。つまり中國海洋文明の出発點とも言えよう(図1)。
秦の始皇帝(紀元前259~210年)は中國統(tǒng)一後も瑯邪郡を置き重要視した(寫真1)。港の前にある「斎堂島」は、秦の始皇帝が不老不死を祈願して斎戒を行ったことからこの名が付き、陸地からわずか0.4kmの距離である。島には三つの村落があり、最も豊かなのは「海島村」で、始皇帝の母もこの島にあった「娘娘堂」と呼ばれる寺院に住んでいたという。
越王「勾踐」(?~紀元前465年)は、春秋五覇の一人に數(shù)えられた春秋後期の人物である。有能な宰相「范蠡」の補佐を得て、當時江南で強勢を誇っていた呉王「夫差」を現(xiàn)在の蘇州市南西部にある霊巖山(姑蘇山)で自害させ、呉を滅ぼした(紀元前473年)。かつて勾踐は會稽山で宰相「范蠡」の進言に従い呉王「夫差」(?~紀元前473年)に和を請い、夫差は伍子胥の猛烈な反対を押し切って和を受け入れた(紀元前494年)。勾踐は呉に赴き夫差の召し使いとして仕えることになったが、范蠡の工作で程なくして越に戻った。勾踐はこの時の悔しさを忘れず、部屋に苦い肝を吊るして毎日のようにそれを舐め、呉に対する復讐を誓った。これを「會稽の恥」と言う。
呉を滅ぼした越王「勾踐」は黃海を望む瑯琊臺に観臺を造り、紀元前472年に諸侯と徐州(山東滕州の南)で會盟を行った。勾踐は首都を會稽から瑯琊臺に移して、ここに覇業(yè)的基地を造り、その後8世代の君主が224年間も続いた。越王は河南省開封近く杞県にあった中華原點である夏國の末裔といわれている。先祖の故郷に近い位置に遷都したとも考えられる。しかし、勾踐は遠く離れた南の故郷(會稽)が忘れられず、海辺に近い高臺(望越樓)から南の方角を見ていたという。望越樓に登ると、そこにはブロンズ製の勾踐像が南向きに置かれていた(寫真2左)。越の國は遠く霞の中にあり、眼下には瑯琊港と斎堂島が見えた(寫真2右)。そして、勾踐はここ瑯琊臺で亡くなったという。
秦の始皇帝は六國を討伐平定して中國統(tǒng)一を完成させた。その後5回全國巡遊し3回瑯琊を訪れ、そのうち1回は3カ月ほど滯在したと「史記秦始皇本紀」に記されている。3回とは、紀元前219年?218年?210年であった。最後の訪問は死の直前紀元前210年で、5回目の南巡の途中であった。姑蘇「呉」の直後に瑯琊を訪れ、山東「芝罘」から「平原」を通過、河北省「平郷県」(現(xiàn)在の邢臺市)で亡くなったという。ついに徐福の不老不死の仙薬は間に合わなかった。
漢武帝もまた3回ここを巡遊している。また漢の宣帝?明帝などの帝王も瑯琊臺に登った。唐時代は李白や白居易など多くの詩人も訪問している。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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