<コラム>ここは西川口?池袋?名古屋のエスニックタウン新栄

巖田宇伯    2019年12月1日(日) 14時(shí)10分

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東京に行くと大規(guī)模なエスニックタウンがいくつも存在する。池袋駅北口、新大久保、西川口、最近ホットな新小巖など。都內(nèi)に居ながら外國(guó)旅行気分が味わえるというスポットだ。愛(ài)知県にもそういったエスニックタウンと呼べるエリアがいくつかある。

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●點(diǎn)在する名古屋地區(qū)のエスニックタウン

その他の寫真

東京に行くと大規(guī)模なエスニックタウンがいくつも存在する。さすが日本の首都だ。池袋駅北口、新大久保、西川口、最近ホットな新小巖など。特定のエリアに集中しているので、都內(nèi)に居ながら外國(guó)旅行気分が味わえるというスポットだ。

じつは筆者の居住地、愛(ài)知県にもそういったエスニックタウンと呼べるエリアがいくつかある。その多くは90年代から製造業(yè)関係の出稼ぎの多かったブラジルを中心とする南米コミュニティ。かつては右翼団體も押し寄せ騒ぎとなったという豊田市の保見(jiàn)団地、近年アツいのは名鉄名古屋本線で名古屋にほど近い知立団地、港區(qū)の九番団地といったあたり。さらに、岐阜の可児、三重の鈴鹿といったエリアにもちょっとした南米エリアが存在する。いずれも東海地方ならではの製造業(yè)拠點(diǎn)にほど近いエリアとなる。珍しい食材を揃えたスーパーや串焼きのシュハスコレストラン、巨大なブラジル式ハンバーガーを提供するカフェテリアなど、おもしろい店が軒を連ねている。2008年のリーマンショックによる影響で、多くの人が本國(guó)へ帰ったりしたが、今もいる人々は前述のエリア近辺に新居を構(gòu)えるなど、日本に骨をうずめる覚悟をした人が多い。(畫像1 九番団地のブラジルレストラン)

一方、アジア系のエスニックタウンは南米系のエリアと違い、集中しているエリアは中區(qū)新栄周辺ぐらいだ。ここは飲食店、風(fēng)俗店の立ち並ぶ繁華街、大通りには企業(yè)向けのビルが立ち並ぶエリア。若者の一人暮らしはまだしも、家族を抱えて生活するには少々厳しい環(huán)境だ。また、パキスタン人やネパール人のインド料理店と同じく、臺(tái)灣料理の看板を掲げた大陸中國(guó)人の経営する中華料理店は郊外にもかなり多いため、実際の生活の場(chǎng)は分散されているように推測(cè)される。

●繁華街故のエスニック化

2007年、名古屋大學(xué)の浮葉正親助教授(當(dāng)時(shí))が記した『國(guó)立民族學(xué)博物館調(diào)査報(bào)告』によれば、名古屋でアジア系のエスニックタウンといえば、いわゆる「駅西」、「駅裏」と言われた名古屋駅新幹線口周辺(中村區(qū)椿町)周辺のコリアタウンがかつては有名であった。こちらは終戦後、不法占拠による闇?zhǔn)肖扦?、コリアタウンが形成されたものの?964年の新幹線開(kāi)通とともに立ち退きとなったが、朝鮮系銀行やキムチ店など多くあったため、1990年代前半まで名古屋市民はコリアタウンといえば「駅西」という認(rèn)識(shí)であった。ところが、1990年代前半から、中區(qū)新栄、とくに瓦町交差點(diǎn)を中心としたエリアに、新たにニューカマーとしてやってきた韓國(guó)系の飲食店、商店が激増。コリアタウンはこちらの方が有名となった。1990年代後半から中國(guó)系の店が徐々に増加、やがてチャイナタウンを形成していく。

このあたりは筆者も同じ印象で、2005年ごろには中國(guó)系が完全に圧勝していたように思う。労働ビザ規(guī)制緩和の時(shí)期とも関係ありそうだ。もともとこのエリアは繁華街といえども、名古屋栄の錦あたりからすると格下の感は否めない。エリアの中學(xué)校はかつてケンカ市內(nèi)最強(qiáng)といわれたほど、ガラは良いとはいえない地域でもある。また、數(shù)年に一度ぐらいの割合で発砲事件、殺人事件といった?jī)磹櫏衰濠`スを振りまくエリアのため、栄地區(qū)に隣接しながらもテナント料も多少安く、若者や出稼ぎ移民が商売を始めるにはやりやすいエリアともいえる。

現(xiàn)在の様相は、多くの飲み屋、風(fēng)俗店のひしめく中、おおまかに池田公園~瓦町が中國(guó)系、瓦町東側(cè)が韓國(guó)系、東急ホテルの裏あたりがフィリピン系とそれぞれの店舗が集中している。ただ、完全に分かれているわけではなく、同じテナントビルに同居していたりと、そのあたりは緩く共存している。

また、中國(guó)スーパーも數(shù)店舗あり、ラオガンマ、黒酢といった家庭で使える調(diào)味料のほか、冷凍の水餃子など業(yè)務(wù)仕様の食品もあるので、凝った中國(guó)料理を作る際はぜひ利用したい。(畫像2 池田公園南の中國(guó)スーパー)

●新栄といえば中國(guó)東北料理店

そして新栄といえばいわゆる大陸中華、中國(guó)人による中國(guó)人のための中國(guó)料理店が軒を連ねることでも一部クラスタには有名。特に遼寧、吉林、黒竜江といった東北3省出身者による東北料理店が最も店の數(shù)が多くメインといえる。5-6年前までは、日本語(yǔ)が出來(lái)るスタッフが店にいない場(chǎng)合も多く、必然的に中國(guó)語(yǔ)でのコミュニケーションが必要であったが、最近は上手な日本語(yǔ)を話すスタッフが増えて、いくぶん敷居が下がった感がある。2000年前後から増えだしたこの手の中國(guó)東北料理店、いまや老舗となった3店舗を軽く紹介しよう。

「東北大冷麺」

最近、名古屋の中國(guó)クラスタの集會(huì)場(chǎng)所となっているこの店、「劉家西安刀削麺」「海鮮館」といった店舗を展開(kāi)するグループのチェーン店でもある。場(chǎng)所は池田公園の1本南のブロック角、週末は晝間も営業(yè)、日曜以外は翌朝午前5時(shí)まで営業(yè)。(畫像3 東北大冷麺)

「莊稼院」

筆者がハマった24時(shí)間営業(yè)の店。瓦町交差點(diǎn)すぐ北。壁一面の中國(guó)語(yǔ)新聞やぶら下がった干しトウモロコシなど店長(zhǎng)手作りだそう。入口にはテイクアウトコーナーも。(畫像4 莊稼院)

「延辺館」

朝鮮族の多い吉林省の街の名を冠したこの店、最初は雑居ビル1階で中國(guó)のローカル食堂を思わせる佇まいの店だったが、隣へ拡張。さらに2年ほど前、すぐ近くに高級(jí)レストランのような3階建てのビルを完成し移転。なかなか商売上手な店だ。晝間の営業(yè)はないが、夕方17時(shí)から開(kāi)店し、閉店時(shí)間は翌朝午前5時(shí)。瓦町交差點(diǎn)1本東のブロック(畫像5 延辺館)

これらの店はいずれも中國(guó)東北料理なのでメインとなるのは素樸な煮込み料理、焼き物中心、そしてなぜか「夫妻肺片」といった四川料理も多くの種類がラインナップされる。珍しいところでは蠶、狗肉といった東北料理ならではの食材を使ったメニューも。

このエリアには、ほかに上海料理、火鍋、カモ料理、モンゴル料理、麻辣湯、蘭州拉麺などさまざまな大陸中華の店があるが、競(jìng)爭(zhēng)も激しく、新しい店ができたと思えば數(shù)ヶ月で閉店したりと一筋縄ではいかないようだ。筆者も數(shù)回ほど通った新疆ウイグル料理の店が、先日、名古屋の中國(guó)クラスタに惜しまれながらも閉店してしまった。

●そしてニューフェース

前述した3店舗は地に足を下ろした定番といってもいいレストランだが、近年、新しいタイプの店も登場(chǎng)している。ここでもまた3店舗ほど紹介してみよう。

「張亮麻辣湯」

東京や大阪にもあるハルビン発祥のチェーン店。中國(guó)全土では3200店舗以上展開(kāi)する大手。ほかの大陸資本チェーン店の名古屋進(jìn)出も期待したいところだ。元あった瓦町交差點(diǎn)から200mほど北に移転したものの、元の居抜きに「張闖麻辣湯」というロゴがそっくりな店が入居。(畫像6 移転前の張亮麻辣湯 )

「蘭州拉麺李」

東京でもブレイクした蘭州拉麺。名古屋では希少な専門店である。國(guó)道41を挾んだ東急ホテルの裏と瓦町の2店舗體制、繁盛している。(畫像7 蘭州拉麺李)

「柏味食堂」

ひそかに名古屋の料理人にも注目されている店。早朝5時(shí)からの「早餐」や「小吃」に強(qiáng)み。夜メニューにはもちろん「鉄鍋燉」といった中國(guó)東北料理も?!秆愚x館」のすぐ近くにあったのだが、テナントビルの取り壊しにより休業(yè)、今月より移転オープン。本當(dāng)かどうか不明だが、プロは「延辺館」で閉店のAM5時(shí)まで粘り、「柏味食堂」の開(kāi)店に一番乗りし豆腐脳や包子で締めるらしい。(畫像8 移転前の柏味食堂)

いつか行こうと思いつつ潰れて消えてしまった店も多數(shù)あるうえ、現(xiàn)役ながらも制覇しきれていない未入店の店も思いつくだけで10店舗以上。日本各地から消えてしまった秘寶館同様、行けるときに行かないとたぶん次はない可能性もある。こうなると一人のパワーでは限界があるので、みなさんと一緒に新規(guī)開(kāi)拓したいところだ。新栄に限らず、おもしろそうなエスニック料理店があれば是非筆者のTwitter(@dqnfr)まで、タレコミ歓迎します。

■筆者プロフィール:巖田宇伯

1963年生まれ。景徳鎮(zhèn)と姉妹都市の愛(ài)知県瀬戸市在住。前職は社內(nèi)SE、IT企畫、IT基盤の整備を長(zhǎng)年にわたり擔(dān)當(dāng)。中國(guó)出張中に出會(huì)った抗日ドラマの魅力にハマり、我流の中國(guó)語(yǔ)學(xué)習(xí)の教材として抗日作品をはじめとする中國(guó)ドラマを鑑賞。趣味としてブログを數(shù)年書き溜めた結(jié)果、出版社の目に留まり『中國(guó)抗日ドラマ読本』を上梓。なぜか日本よりも中國(guó)で話題となり本人も困惑。ブログ、ツイッターで中國(guó)ドラマやその周辺に関する情報(bào)を発信中。

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