工藤 和直 2019年12月13日(金) 23時0分
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今でこそ“寶塚(たからづか)”と言えば、日本全國その名を知らぬ者が居ない程有名になったが、その名前を公式に用いたのは明治20年(1887年)6月に開業(yè)した溫泉場に“寶塚”の名前を使った小佐治豊三郎である。
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今でこそ“寶塚(たからづか)”と言えば、日本全國その名を知らぬ者が居ない程有名になったが、その名前を公式に用いたのは明治20年(1887年)6月に開業(yè)した溫泉場に“寶塚”の名前を使った小佐治豊三郎である。鎌倉時代から小林(おばやし)の湯と知られ、江戸時代には小浜(こはま)村に古墳が多くある事から“寶の塚”といわれていた。
【その他の寫真】
現(xiàn)在のホテル若水がある武庫川右岸寶來橋麓で炭酸水の溫泉源が見つかり、そこを“寶塚”溫泉場と名付けて営業(yè)を始めてわずか130年である。明治30年(1897年)に大阪から舞鶴までの阪鶴鉄道(現(xiàn)在のJR寶塚線)の新駅を“寶塚駅”と命名、その後箕面有馬電気軌道(現(xiàn)在の阪急電車)が明治43年(1910年)に開業(yè)した終著駅も同じく“寶塚駅”と名付け、武庫川左岸の寶塚新溫泉の営業(yè)を始めた。あの時、村の名前から“小浜駅”としていたら、果たしてこれだけの名聲を得たかどうか疑わしい。
小佐治豊三郎が始めた溫泉旅館が“分銅屋”で、桝屋?弁天樓?子寶屋の四旅館が當(dāng)初の老舗になる。當(dāng)時の料金は素泊まり1泊で、上等25銭?中等20銭?下等15銭と統(tǒng)一価格であり、旅館から寶來橋麓の溫泉場に湯治に通った。(寫真1上)は明治30年代後半頃の分銅屋であるが、三角屋根に分銅(銀行マーク)が大きく描かれている。當(dāng)時の記録によると「軒瓦一枚一枚に分銅の紋、內(nèi)庭に池があり、その上は渡り廊下で14の部屋と50畳の大広間が結(jié)ばれ、池には塩谷川から清水が引き込まれ鯉が泳ぐ」とある。(寫真2)は戦前の分銅屋旅館のパンフレットであるが、宿泊料金は2食付きで3~5円/泊であった。
木造2階建ての分銅屋旅館は昭和58年(1983年)2月に閉館し百周年を迎えずに廃業(yè)、現(xiàn)在は“湯本臺広場”となっている。當(dāng)時玄関につながったトンネルの跡地にちょうど鉄製の枠柵が作られていた(寫真1下)。驚くべきは、寫真の分銅屋前にある2階建ての店前に“理髪師”の表示と引戸に“髪床”とあり、ここは現(xiàn)在も営業(yè)を続けている前田理髪店(理容前田)である。130年を超える老舗である。
(寫真3)は第2代目の溫泉場入口で、明治30年9月29日の大雨で武庫川が氾濫して初代建屋が流失、その後明治32年6月から新裝開店した。石段を上がると「炭酸せんべい」の看板があるが、ここが現(xiàn)在も営業(yè)している「炭酸煎餅黃金屋」である。現(xiàn)在の寶來橋は平成6年に改裝された5代目で、S字に緩やかに右岸に登る平坦道路であるが、當(dāng)初は溫泉場から石段で下った位置に直線狀の木製“寶來橋”があった?,F(xiàn)在でも、S字橋右岸の川床から溫泉が湧き上がっているのを確認できる。
寶塚少女歌劇が最初に興行された大正3年(1914年)に30軒の旅館があった。最盛期は昭和45年(1970年)大阪萬博博覧會の時で、年間で133萬人が50軒の旅館?ホテルに宿泊したとある。その後、阪神淡路大震災(zāi)(平成7年)後に大きく落ち込み、平成12年には22萬人と激減、旅館數(shù)も6軒となった?,F(xiàn)在ではホテル若水とワシントンホテルのみが宿泊可能な溫泉旅館となっている。
少女歌劇は寶塚歌劇団と改稱し、1938年(昭和13年)のヨーロッパ公演を初回に多くの海外公演を行っている。中國では1999年を初回、2002年には日中國交正常化30周年記念として第2回公演を行ったが、その時の月組娘役トップ檀れいは「楊貴妃の再來」といわれ、現(xiàn)在でも多くの中國の方の記憶に殘っている。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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