「竹島は韓國領(lǐng)」示す新たな資料を発見?=韓國ネットは懐疑的

Record China    2019年12月11日(水) 11時30分

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10日、韓國?聯(lián)合ニュースは「正祖時代の文臣が獨島に領(lǐng)土碑の建立を建議していたという資料が見つかった」と伝えた。寫真は韓國の獨島アカデミー。

2019年12月10日、韓國?聯(lián)合ニュースは「正祖(チョンジョ)時代の文臣、李福休(イ?ボクヒュ、1729~1800年)が、獨島(日本名:竹島)に領(lǐng)土碑の建立を建議していたとの資料が見つかった」と伝えた。

資料は、韓國の獨島資料研究會が発見した「承政院日記」と「日省録」の正祖17年(1793年)10月1日付の記録で、「鬱陵外島(ウルルンウェド)、その名は松島(ソンド)で、かつての于山(ウサン)國」などと書かれているという。記事は「李福休が于山島を鬱陵外島と稱し、領(lǐng)土碑を立て、朝鮮の領(lǐng)土であることを証明しようとしている內(nèi)容だ」としている。

研究會に所屬する柳美林(ユ?ミリム)博士は、「この鬱陵外島が今の獨島だ」と解説する。資料にある「于山國」は、「東國文獻(xiàn)備考」(1770年編さん)に「鬱陵島と于山島はどちらも于山國の地である」と記録されていることを挙げたほか、「日本人は當(dāng)時、于山島を『松島』と呼んでいたが、資料に『陵外島は松島』とあることから、鬱陵島、松島、于山島は同じ島を指すという公式が成立する」と主張している。さらに、この資料から「鬱陵外島と稱して獨島が鬱陵島に付屬することを明らかにすることで、日本による獨島侵奪の対応策を講じようとしていたことが分かる」と指摘?!赋rの官僚が領(lǐng)有権の確立を構(gòu)想したことは、朝鮮政府が獨島の存在を認(rèn)識していたことを示す事例だ」と主張したという。

しかし、正祖は領(lǐng)土碑の建立を認(rèn)めなかったといい、これについて柳博士は「捜討制度(定期的に官吏を派遣する制度)の定著で、鬱陵島や獨島の領(lǐng)有権が確立されたと認(rèn)識された結(jié)果だ」と主張している。

韓國のネットユーザーから寄せられたコメントの多くは、「獨島は當(dāng)然、韓國の領(lǐng)土だ」との考えを示しながらも、「朝鮮時代の両班がどれだけ自國の地理知識を持たなかったかがよく分かる記録だ。古い文獻(xiàn)にある『于山國』は、今の鬱陵島と見るべきだ」「鬱陵外島が獨島?まるで小説だな。でたらめの資料を持ち出して日本と領(lǐng)土紛爭をしても負(fù)けるだけだ」「鬱陵外島、松島が獨島だったとしたら、人が居住するのは難しい無人島に昔は人が住んでいたと言うのか?」など、記事內(nèi)の説に懐疑的な內(nèi)容となっている。(翻訳?編集/麻江)

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