日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉―中國メディア

Record China    2013年9月15日(日) 10時(shí)0分

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11日、一つの國の世界観や価値観は各國の紙幣、特に最高額紙幣の上に浮かび上がる。

2013年9月11日、一つの國の世界観や価値観は各國の紙幣、特に最高額紙幣の上に浮かび上がる。北京晨報(bào)が伝えた。

2001年に歐州通貨単位のユーロ紙幣がドイツの紙幣に制定される以前、ドイツの最高額紙幣、1000マルク紙幣に印刷されている人物像は、現(xiàn)代ドイツ語辭典を編纂したグリム兄弟だった?,F(xiàn)在、日本の最高額紙幣1萬円札に印刷されているのは福沢諭吉だ。

福沢諭吉(1835-1901年)は江戸時(shí)代末期に下級(jí)藩士の家に生まれた。日米修好通商條約に伴い派遣された咸臨丸の艦長(zhǎng)の従者として渡米したり、歐州各國の使節(jié)団に同行するなど、西洋の學(xué)問に心酔し、明治時(shí)代における「文明開化」に盡力した人物だ。また、福沢諭吉は日本の近代思想史において、最も早くに「Civilization」を「文明」と翻訳し、「文明」の概念を?qū)毪工毪犬?dāng)時(shí)に、文明の優(yōu)劣を説いた。

■18世紀(jì)のフランス、「野蠻」に対立する意味で使用された「文明」

歐州を中心にして見た世界は2つに分かれていた。秩序があり優(yōu)れた歐州と、半開の國で野蠻な歐州以外の地域。福沢諭吉が指摘する以前から、日本人はすでに、イタリア人イエズス會(huì)員?カトリック教會(huì)の司祭マテオ?リッチが持ち込んだ世界地図によって、この世界は「中華と四夷(古代中國で中國を中華と呼ぶのに対し、四方の異民族を指して四夷と言った)」という秩序のほかに、新たな秩序、つまり東西や歐亜といった線引きがあることを理解していた。また、日本人は宣教師が自らの故郷を歐州と呼ぶことや、中國や朝鮮、日本がある大陸は「アジア」と呼ばれていることも徐々に理解していった。この理解の基礎(chǔ)の上に、福沢諭吉はかの有名な「脫亜?wù)摗工趣いξ拿鳏蝺?yōu)劣による評(píng)価を?qū)毪筏?。これにより、近代日本人は、西洋文明の風(fēng)が國境を越えてアジアに流れ込めば、古いしきたりに囚われた清國や朝鮮は國家滅亡の運(yùn)命から逃れられないと見て、清國?朝鮮との間に明確な境界線を引き、2カ國の滅亡の巻き添いになることを避けなければならないというアジア観の基礎(chǔ)を打ち立てた。

福沢諭吉の中國に対する認(rèn)識(shí)は、アリストテレスからヘーゲルに至る思想に基づいたところが大きく、最終的には「アジア的生産様式」を引き合いに出し、「中國の停滯性」を主張した。

簡(jiǎn)単に言えば、アジア社會(huì)、特に中國社會(huì)は土地の私有制度がないことから、大型水利工事施設(shè)の建設(shè)を基礎(chǔ)とし、國がすべての経済活動(dòng)を計(jì)畫準(zhǔn)備する専制政治體制を形成している。アジアの専制社會(huì)は完全に停滯した狀態(tài)で、発展する動(dòng)力を欠いた社會(huì)形態(tài)であるというものだ。福沢諭吉が提出した「脫亜?wù)摗工先毡兢嗡枷胧筏藢潳筏粕瞍绊懁蚺cえ、今でも日本の多くの國民が日本のことを、「西洋には屬さないが、アジアの獨(dú)特な文明とも異なる」と考えている。

「脫亜入歐」(後進(jìn)世界であるアジアを脫し、ヨーロッパ列強(qiáng)の一員となる)の機(jī)運(yùn)が盛り上がった後、表面的にはそれと相反する思想も沸き起こってきた。岡倉天心は「アジアは一つ」とするアジア主義を打ち出し、日本と中國とインドは文明的にも共通性があることを強(qiáng)調(diào)した。この2つの見たところ相反する思想はこれ以降も、日清戦爭(zhēng)、日露戦爭(zhēng)、辛亥革命、十月革命などの大きな歴史的事件において、それぞれの擁護(hù)者を引きつけていき、第2次世界大戦において完全に結(jié)合する。これが、大東亜共栄圏のイデオロギー、すなわち「満州?中國と同盟し、アジアを統(tǒng)一して、アングロサクソンの世界に対抗しよう」というものだった。これは、「歐州にとって『他者』であるアジアは、帝國主義主導(dǎo)型の世界秩序を打ち破る必要がある。日本はアジアにおいて先に現(xiàn)代化を?qū)g現(xiàn)させた盟主であり、他のアジア諸國にもこの使命を遂げさせる義務(wù)と能力を持つ」という構(gòu)想だ。

福沢諭吉が1萬円札の上に刷られているのは決して偶然ではない。日本が歴史問題を認(rèn)めないのも偶然ではない。この二つの事柄はすべて同じ歴史的根源から來ている。これこそが、近代日本の自己定義における主體の欠如なのである。

「犬と鬼 知られざる日本の肖像」(2002年)の作者で米國の日本通と呼ばれるアレックス?カー氏はかつて、中國學(xué)を?qū)Wぶほうが日本學(xué)を?qū)Wぶよりも気持ち的に楽しいと語ったことがある。なぜなら、中國人學(xué)者は日本人學(xué)者と違って「自國の文明の特異性と優(yōu)越性」を強(qiáng)調(diào)したり、それを研究の最終的な帰結(jié)點(diǎn)としないからだと述べている。これは、日本の思想が現(xiàn)代化の過程において生み出した、「他者の視點(diǎn)から自分たちを位置づけ、自己評(píng)価を行う」という面白い現(xiàn)象にもつながる。実際、福沢諭吉の「脫亜?wù)摗工扦ⅳ恧Δ取鶄}天心の「アジア主義」であろうと、背後に隠されているのは他者による観察視點(diǎn)である。

米コーネル大教授の酒井直樹氏は「日本思想という問題―翻訳と主體」という著書の中で以下のように解説している。ある人物がもし內(nèi)部の視線から自己を観察する場(chǎng)合、自分を特殊だと思うだろうか?自己の特異性を強(qiáng)調(diào)するということは、外からの視線で自己を観察していることを表し、これによって観察の主體が消失してしまっていることを示している。自我の主體が崩壊するのに伴い、核心的価値観も喪失される。

日本の歴史認(rèn)識(shí)が世界の形勢(shì)の変化に伴い、大きく揺らいできたのは明らかだ。米國の占領(lǐng)時(shí)期から冷戦時(shí)代にかけては、左翼が勢(shì)いを得て、一時(shí)は自己批判?反省の機(jī)運(yùn)が高まったこともある。しかし、戦後民主主義の指導(dǎo)的人物である丸山真男や竹內(nèi)好などの人物が相次いで世を去ると、特に2000年以降に米中関係が日増しに緊張してくると、日本の歴史観は急激に右へと傾いていく。このような揺さぶりが激しく、不安定な歴史観はまさに、核心的価値観の欠如を表している。

現(xiàn)在、500ユーロ紙幣にはグリム兄弟に代わって抽象的な現(xiàn)代建築が印刷されている。歐州憲法の制定や歐州通貨単位ユーロの発行に伴い、第2次世界大戦後の古い體制のままだった歐州は今や、一つの新しい歐州に向け體裁を整え始めている。しかし、福沢諭吉は今もなお1萬円札に印刷されており、一代、また一代と日本人の成長(zhǎng)と衰退を見つめ続けている。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/MZ?編集/武藤)

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