石川希理 2019年12月19日(木) 16時(shí)40分
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ほんの10年ほど前の中國北京では、行き交う車はどれもこれも「ホコリまみれの運(yùn)動(dòng)場を何周もしてきた」有様だった。今は北京も上海も近代都市に変わっている。寫真は北京。
海水浴をした。身體に浮かんでいた油の粒子がつき、オイルフェンスもあまり効果がなかった。ぬたりとした海面に、ゴミが浮かび「もう二度と泳ぎになんか來るものか」と、それ以降はしばらくご無沙汰になった。
中小工場群の吐き出す煤煙で、秋の晴れ渡る空がなかった。電車を降りた途端にそのまま帰りたくなった。真晝なのだが妙に灰色がかった春霞のような空だ。お天道様は茫洋として所在なげに空に顔を出している。
「こんなトコロでも人が生きているんだ」と若い私は傲慢にも考えていた。
これは、半世紀(jì)前の神戸市の名勝『須磨海岸 海水浴場』の様子と、中小企業(yè)が密集する東大阪の様子である。
ほんの10年ほど前の中國北京はその頃の日本と大差なかった。膨大な自転車。行き交う車はどれもこれも「ホコリまみれの運(yùn)動(dòng)場を何周もしてきた」有様だった。
「不要」は「ブヨウ」であるらしい。
有名な中國の観光地。買物の白いビニール袋を重そうに下げた?おばさま達(dá)が、遠(yuǎn)慮なくよってくる。野球帽を売りつけようというわけだ。
「いらないよ」
何度言っても、何か言っている。
「ブヨウ、と強(qiáng)く言えばいいんだよ」
友人が教えてくれた。なるほど「漢音」の漢字の國だった?!覆灰工稀弗榨瑗Α工扦胜弗芝瑗Α工峭à袱毪椁筏ぁ?/p>
勇気を出していって見ると、一発で通じた。意味がわかったのか、そういう言葉を口にする日本人は扱いにくいと思ったのかも知れなかった。
「日本には?こう言う物乞いはいなかったなあ」
と、またまた頭の片隅で「優(yōu)越感」が持ち上がる。
「まてよ」と貧弱な私の大脳皮質(zhì)が警告した。
「戦爭知らない子どもたち」の代表たる団塊世代。その幼少期には、傷痍軍人、乞食があふれていたではないか。
私の口はそこで止まった。
10數(shù)年たって、北京も上海も近代都市に変わっている。東京より凄い高層ビル群である。スモッグも海川の汚染も減りつつある。
「でも、黃砂もあるが車は汚いぞ。自転車は減ったけれどな」
「物乞いも減ったけれど、農(nóng)村はまだ遅れているなあ」
まあ、あと2、30年しないと、そこまでの底上げは難しいだろう。
政治體制の問題もあるが、隣人の大國である。みんなが幸せな方向に進(jìn)んで欲しい。
■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學(xué)校?飛松中學(xué)校?星陵高校?神戸學(xué)院大學(xué)?仏教大學(xué)卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強(qiáng)と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學(xué))をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時(shí)折友人達(dá)などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時(shí)折禁酒(笑)。中學(xué)教員から県や市の教育行政職、大學(xué)の準(zhǔn)教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學(xué)のアンソロジー単行本數(shù)冊。小説の自家版文庫本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想?仏教」などの講演會(huì)をしてきました。 ブログはこちら
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