Record China 2013年9月22日(日) 12時(shí)28分
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22日、中國の山東省済南市中級(jí)人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中國共産黨中央政治局委員だった薄熙來に対する判決を言い渡した。無期懲役という、想定範(fàn)囲內(nèi)の結(jié)果だ。中國研究の第一人者?遠(yuǎn)藤譽(yù)氏が真相に迫った。
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2013年9月22日午前、中國の山東省済南市中級(jí)人民法院(地裁)は、元重慶市書記で中國共産黨中央政治局委員だった薄熙來に対する判決を言い渡した。無期懲役という、想定範(fàn)囲內(nèi)の結(jié)果だ。不服であれば薄熙來には、10日以內(nèi)に上告する権利がある。中國は二審まで許される。そこで最終判決が出る。
【その他の寫真】
裁かれた罪狀は「収賄、橫領(lǐng)、職権亂用」だが、実際は違う。文化大革命(文革)(1966?76年)を総括するに當(dāng)たり中國共産黨中央が下した結(jié)論「?jìng)€(gè)人崇拝をしてはならない」と「民衆(zhòng)運(yùn)動(dòng)を政治運(yùn)動(dòng)化してはならない」という基本路線を薄熙來は犯したのである。この二つを犯すと中國共産黨の集団指導(dǎo)體制は亂れ一黨支配制度が崩壊する。文革から學(xué)んだ教訓(xùn)だ。だからこそ薄熙來は失腳したのである。にもかかわらず罪狀の中で「文革の再來を招きかねない政治的罪」に一切觸れなかったのは、事実、その再來の危険性が中國社會(huì)に內(nèi)在しているからだ。
中國共産黨は「マルクス?レーニン主義」と「毛沢東思想」を黨規(guī)約に殘しながら、改革開放の市場(chǎng)経済を斷行した。富の再分配と平等を旨としながら、自由競(jìng)爭(zhēng)を許したのである。これは論理的に矛盾する。しかも、一黨支配の下で自由競(jìng)爭(zhēng)を許せば、黨幹部の腐敗と貧富の格差を招くのは始めから見えていた。
そこで中國は「中國特色社會(huì)主義國家(中國の特色ある社會(huì)主義國家)」という定義を用いて、この根本的矛盾を回避してきた。たった「特色」という二文字で、黨規(guī)約と現(xiàn)実社會(huì)との間に乖離があることから逃げてきたのだ。
▼一挙両得の計(jì)算―政治的犯罪に觸れず
その矛盾に照準(zhǔn)を當(dāng)てて自らの政治的野心を遂げようとしたのが薄熙來である。自分を第二の毛沢東と位置づけて、改革開放の恩恵にあずかれない者たちの心をくすぐった。結(jié)果、競(jìng)爭(zhēng)に取り殘された者の一部は熱狂的に薄熙來を禮賛。その熱狂は、貧富の格差を招いた現(xiàn)政権に対する「ノー」を突き付けたものであり、「特色」の二文字で逃げてきた中國のツケでもある。
だから罪狀では「文革の再來を招きかねない政治的犯罪」には一切觸れていない。収賄や橫領(lǐng)の金額も実際よりはずいぶんと低めに見積もられている。この時(shí)點(diǎn)で本來なら「死刑」になるはずの判決は出さないということが見えていた。
なぜなら元鉄道部部長(zhǎng)(大臣)だった劉志軍は、収賄橫領(lǐng)(6460萬元)だけで(執(zhí)行猶予付き)死刑判決を受けたばかりだ(2013年7月8日)。薄熙來の場(chǎng)合と違い、死刑にしても「人民の反発がない」ことを中共中央は知っていたから迷うことなく死刑にした。同時(shí)に収賄橫領(lǐng)だけでも死刑になることを示すことによって、腐敗の溫床となっている部局に切り込んでいく意思を見せた。鉄道部の次は國有企業(yè)?石油閥。利益集団にメスを入れている。
薄熙來に関して罪狀の収賄橫領(lǐng)の合計(jì)額を2600萬元と、劉志軍より低めに見積もっているのは、劉志軍より多い実際の金額(5000萬元以上)を示せば死刑にしなければならなくなるからだ。しかし死刑にすれば毛沢東を懐かしむ「薄熙來萬歳」側(cè)の人民の抵抗があることを知っている。だから金額を少なめにした。しかし「これしきの腐敗額でも、これだけの重罪に処せられる」という恐怖を黨員に植え付けることはできる。一挙両得の計(jì)算だ。
昨年11月の第18回黨大會(huì)で、胡錦濤も習(xí)近平も「腐敗問題を解決できなければ、黨が滅び、國が亡ぶ」と叫んだ。それほどに黨幹部の腐敗は限界に來ている。もし中國に一黨支配體制の崩壊があるとすれば、本來なら社會(huì)主義的価値観から乖離した「腐敗」という內(nèi)部要因から崩れていく。だから必死だ。
▼毛沢東は護(hù)身の免罪符
習(xí)近平政権になったあと、中共中央は大衆(zhòng)路線に基づいた思想宣伝を盛んに行なうようになった。かつて毛沢東が使ったスローガンが飛び交っている。まるで毛沢東時(shí)代への回帰のように見えるが、そうではない?!柑厣工味淖证扦咸婴睬肖欷胜へ毟护胃癫瞍让裥\(zhòng)の不満を躱(かわ)すのが目的だ。薄熙來に重い判決が出たときに、民衆(zhòng)が習(xí)近平政権に抗議活動(dòng)を行わないように、民衆(zhòng)に「媚びている」とも言えよう?!袱郅椁汀⑺饯猡长螭胜巳嗣瘠挝斗?、毛沢東と同じですよ」というメッセージを貧困層に送る。毛沢東は習(xí)近平にとっても護(hù)身の免罪符なのである。
昨年9月の反日暴動(dòng)で、反日の橫斷幕と同じ數(shù)だけ毛沢東の肖像畫があった。あれは「反政府」の意思表示であり、「薄熙來支持」のプラカードでもあった。しかし黨規(guī)約にある毛沢東を禮賛しても罪には問えない。毛沢東は「お守り札」なのだ。その手法を逆手に取りながら、習(xí)近平政権は民心の安定に躍起になっている。汚職にメスを入れるのも、そのためだ。
薄熙來が上告しても、最終判決は11月に開かれる三中全會(huì)(第三次中共中央委員會(huì)全體會(huì)議)までには出るだろう。黨籍を剝奪された薄熙來が復(fù)権することは絶対にない。判決はチャイナ?セブン(中共中央政治局常務(wù)委員會(huì)委員7名)により、初めから決まっている。筆者が「チャイナ?ジャッジ」と名付けた薄熙來審判の中には、中國がいま抱える苦悩とジレンマが詰め込まれていることに注目したい。(なお詳細(xì)は遠(yuǎn)藤譽(yù)著『チャイナ?ジャッジ―毛沢東になれなかった男』にある。)
遠(yuǎn)藤 譽(yù)(えんどう ほまれ)
筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國際交流センター長(zhǎng)、理學(xué)博士。
1941年に中國吉林省長(zhǎng)春市に生まれる。1953年、日本帰國。
中國社會(huì)科學(xué)院社會(huì)學(xué)研究所客員教授?研究員、筑波大教授などを歴任。著書に『ネット大國中國―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國を動(dòng)かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『ちゃー子(チャーズ)―中國建國の殘火』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車』『完全解読「中國外交戦略」の狙い』など多數(shù)。
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