「北朝鮮との対話必要」 01-04 16:11
國(guó)産の高山用ゴンドラや人工降雪機(jī)がスキー場(chǎng)に次々登場(chǎng)―中國(guó) 01-04 16:10
【磯辺餅の隠し味は絶対にコレ!】「ヤバイ、無(wú)限に食えるぞ」今すぐ試してほしい簡(jiǎn)単アレンジレシピ 01-04 16:09
中國(guó)道上りで最大16キロ渋滯 福山東IC-道口PA間 備前IC-播磨JCT間も【4日午後4時(shí) 岡山】 01-04 16:09
結(jié)婚発表の伊藤沙莉『紅白』司會(huì)のミスを“即謝罪”&“重ねて謝罪”で高まる評(píng)価…蕓能プロ幹部も「さすが」とうなる対応力 01-04 16:11
ドジャース加入が電撃決定した俊足巧打の韓國(guó)人內(nèi)野手に大谷翔平が粋なメッセージ。地元メディアも期待「ぴったりフィットするだろう」 01-04 16:05
AIを使わない日本人、注目の技術(shù)“自律型AI”で利用は広がるか 01-04 16:02
西大寺會(huì)陽(yáng) 日本遺産記念で切手に 構(gòu)成文化財(cái)寫真あしらう 限定販売 01-04 16:10
韓國(guó)歌手、“反米”などの虛偽事実流布に警告「虛偽事実で特定人の名譽(yù)を毀損してはならない」 01-04 16:09
鹿島がCB補(bǔ)強(qiáng)! 鳥棲の左利きDFキム?テヒョンが完全移籍加入「日本を代表するビッグクラブの一員になれることを誇りに思います」 01-04 15:58

矛盾した日本人像=禮儀正しく親切で、冷淡で不寛容?―中國(guó)メディア

Record China    2013年9月29日(日) 9時(shí)30分

拡大

27日、銭江晩報(bào)は中國(guó)人が見た矛盾した日本人像について伝えた。資料寫真。

(1 / 2 枚)

2013年9月27日、銭江晩報(bào)は中國(guó)人が見た矛盾した日本人像について伝えた。筆者は中國(guó)のコラムニスト?陳言(チェン?イエン)氏。

その他の寫真

地位や年齢が低く、知識(shí)も不足している新參者にとって、日本の社會(huì)は寛容さやおおらかさに欠けている。この社會(huì)では、あらゆる人が屬するそれぞれの団體の中で序列化されている。それは時(shí)に年齢、時(shí)に社會(huì)的地位によって序列化され、平等さに欠いている。そして、この平等が脅かされる時(shí)、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力でもって、人々を抑圧し息苦しくさせる。

■上下関係や親密さによって異なる二つの態(tài)度

印象:禮儀正しく優(yōu)しい日本人

現(xiàn)実:冷酷で不寛容な日本人

東京駅から北に向かって電車で30分程行くと、埼玉県浦和市(現(xiàn)さいたま市)に到著する。30年前、この地で留學(xué)を始めた頃、日本語(yǔ)學(xué)校で中國(guó)人留學(xué)生のために日本語(yǔ)を教えていたことがある。その頃、日中関係は非常に良好で、日本に対しても非常にいい印象を持っていた。そして、これが日本留學(xué)を決意する後押しとなった。

かつて浦和市の駅前にあったこの日本語(yǔ)學(xué)校は現(xiàn)在すでになくなっている。日本語(yǔ)學(xué)校での記憶が再び蘇って來(lái)る。ここで私は日中両國(guó)の違い、そして抱いていた日本の印象と現(xiàn)実の日本がまるで異なることを思い知らされたのだ。

浦和日本語(yǔ)學(xué)校には一人の女性教師がいた。教師の名前はもう思い出せないが、職員室で激しい剣幕とどこか見下したような口調(diào)で私を叱責(zé)したこの女性教師の聲が今でも脳裏にこびりついて、長(zhǎng)い間忘れることができなかった。

この女性教師は私より少し年上で、長(zhǎng)く日本語(yǔ)を教えており、學(xué)校では比較的経験豊かな教師であると同時(shí)に、若干人に威圧感を與えるベテラン教師でもあった。あの頃、この教師は30代で未婚だった。清潔感があり、有能だったこの教師に初めて會(huì)った時(shí)、一番上の姉に似ていたこともあって、好感を持った。

中國(guó)で多くの日本人と接した時(shí)と同様、私の中には上下関係や親密度による関係の違いというものが存在していなかった。この教師は正式な教師であり、私はただの留學(xué)生で日本語(yǔ)學(xué)校の代理教師だった。しかし、私は自分自身を正式な教師として考えており、ある意味平等な態(tài)度で日本人教師とつきあっていた。

日本に留學(xué)してから知ったのだが、80年代初めに中國(guó)に來(lái)ることができた日本人、特に私が中國(guó)で出會(huì)った人々の大部分は、少なくともテレビの中で見るような日本のエリートだった。中國(guó)では通常、このようなエリートとも平等に付き合ってきたので、日本語(yǔ)學(xué)校の教師たちと一緒にいる時(shí)はなおさら、社會(huì)的地位の差など意識(shí)していなかった。

普段話す言葉の中に無(wú)意識(shí)にこういった態(tài)度が現(xiàn)れていたのだろう。ある時(shí)、この女性教師が私に対して非常に不満を感じていることに気付いた。この教師は、代理教師が職員室にいる時(shí)は、正式な教師より下の立場(chǎng)としてふるまわなければならないという考えを持っていた。しかし、私はその頃20代と若く、こういった配慮に欠けていた。徐々にこの教師の私を見る目がとても冷たいことに気付き出し、この教師との間に距離を置かざるを得なかった。

「日本茶はお湯に直接浸したら駄目なの。誰(shuí)が急須にお茶の葉を入れたの?」。私が急須に直接お茶の葉を入れたのを見たこの教師は、非常に大きな聲をあげて詰問し、私が中國(guó)から來(lái)たばかりで、お茶の入れ方さえ知らない代理教師であることを意識(shí)させ、他の二十?dāng)?shù)人もの教師たちの前で私に屈辱を與えた。私は、お茶を入れたのは自分であり、日本茶を直接お湯に浸してはならないと知らなかったことを認(rèn)めると、この教師は「こんな常識(shí)もないなんて、日本のことどれだけ知っているの?」とさらに屈辱的な言葉を口にした。

意識(shí)的に辱められたこの時(shí)から間もなくして私は日本語(yǔ)學(xué)校を辭めた。後になって私の中で常にある考えが浮かんで離れなくなった。かつて中國(guó)で出會(huì)った、あるいはテレビで見る日本人は皆禮儀正しく、親切で、配慮があったのに、なぜ日本に來(lái)ると、周囲の日本人の態(tài)度が突如橫暴で理屈が通用しない、冷淡で非情なものに変わったのだろうか?

地位や年齢が低く、知識(shí)も不足している新參者にとって、日本の社會(huì)は寛容さやおおらかさに欠けている。この社會(huì)では、あらゆる人は屬するそれぞれの団體の中で序列化されている。それは、時(shí)に年齢、時(shí)に社會(huì)的地位によって序列化され、平等さを欠いている。そして、この平等が脅かされる時(shí)、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力となって、人々を抑圧し息苦しくさせる。

あの時(shí)、私は日本語(yǔ)教師になって間もなくしてすぐ日本留學(xué)に來(lái)たため、あまり日本語(yǔ)がしゃべれない學(xué)生とほぼ同じような感覚だった。日本の上司や同僚は、それぞれがまるで狼や虎、或は牛魔王や蛇神と同じような恐ろしい存在だった。職員室で私が遭遇したのと同様に、留學(xué)生たちもアルバイトの身分で正式社員と同じような平等を求めれば日本社會(huì)では徹底的に打ちのめされるだろう。この日本社會(huì)を理解しなかったことで感じた冷たさは、その後も皮膚感覚として記憶され、長(zhǎng)く忘れることができなかった。

■規(guī)則をあまりに重視する國(guó)

規(guī)則を守らない、知らない人は日本社會(huì)で見下される

中國(guó)ではお茶の葉は直接お湯に浸して飲む。しかし、日本では茶葉を茶こしに入れてから、熱いお湯を注ぐ。あまり熱くないお茶は、お茶を入れて持って來(lái)た頃に茶葉の香りが広がる。これが一種の規(guī)則になっており、この規(guī)則を守らない、あるいは知らない人は日本社會(huì)で非常に軽蔑されるのだ。

日本では、規(guī)則を守ることを非常に厳格に要求される。日本でこのような體験をしたことがある。元物理教師だったある高校の校長(zhǎng)が中國(guó)の古典詩(shī)歌に夢(mèng)中になり、學(xué)校內(nèi)に詩(shī)歌クラブを設(shè)立した。その校長(zhǎng)が私をこのクラブに參加するように言ったので、ある時(shí)クラブ活動(dòng)を見に行くと、韻腳(漢詩(shī)などの韻文で句末に用いる韻)の規(guī)則を収めた「韻腳大全」を手本にしていた。詩(shī)歌クラブの部員が詩(shī)歌を作る際、この韻腳の規(guī)定通りに押韻を行っていた。

しかし、日本語(yǔ)の漢字と中國(guó)語(yǔ)の読みは異なるので、詩(shī)歌の意味に斬新さを加えようとするのと同時(shí)に、唐の時(shí)代に作られた押韻で詩(shī)歌を作ろうとすると、非常に骨が折れる作業(yè)となった。しかも、中國(guó)語(yǔ)學(xué)者でもない高校の詩(shī)歌クラブの部員たちにとって、一つ一つ文字を探して詩(shī)歌を作ることは、どれほど難しいことかと実感させられた。私が學(xué)校に通っていた頃は文革時(shí)代だったので、學(xué)校は封建主義や資本主義、修正主義の文章を読ませなかっただけでなく、勉強(qiáng)自體が不要とされ、詩(shī)歌を作ることに関しても、毛沢東主席が詩(shī)歌をたしなむことを知っているのを除けば、中國(guó)に多くの詩(shī)人がいたことさえ知らなかった。ある人に、中國(guó)にはあんなにも美しい詩(shī)や曲があるのに、あなたはどうしてそれについてあまり知らないのか?と聞かれたことがある。文革を持ち出して説明することもできず、ただ自分は知らないのだと言うしかなかった。このことによって、日本人が何事に対しても真面目で、非常に厳格に規(guī)則を守るということを深く実感した。また、日本人は普通の趣味に対しても同様に一切おろそかにせず真面目に取り組む。

日本の書店に入ると、古い漢語(yǔ)の文獻(xiàn)や書籍が中國(guó)の書店よりも多く置かれているのを目にする。しかし、中國(guó)の現(xiàn)代文學(xué)や歴史書は基本的にほとんど置かれておらず、中國(guó)脅威論や中國(guó)崩壊論といったジャンルの本になるといきなり多くなる。一冊(cè)ずつ読んで行くと、近代中國(guó)の規(guī)則の制定は、日本に比べてずっと速度が遅いと感じられる。また、規(guī)則が制定されても、中國(guó)人は自分たちでさえ真面目に守るとは限らない。だから中國(guó)の工業(yè)製品の多くは日本のものよりずっと劣っており、日本では中國(guó)崩壊論を説いた本が売れるのだ。

中國(guó)人は常に二つの日本を見ることができる。一つは古典中國(guó)文化を敬う極めて禮儀正しい日本であり、もう一つは中國(guó)の現(xiàn)況に対していくらか見下している日本だ。これらは日本においては決して矛盾しないが、中國(guó)人にとっては全く調(diào)和していないように見える。

禮儀正しいが、傲慢で冷たく、規(guī)則を厳格に守るが、変化や例外には対応できない。この二つの部分が現(xiàn)在の日本には共存している。我々はたまたまある場(chǎng)面でそのうちの一つを目にし、また違う場(chǎng)面でもう一つの完全に異なる日本を見るのだ。上下関係や親密さの違い、規(guī)則に対する見方などが、これらの矛盾を內(nèi)包する背景を解く重要な要素であるはずだ。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?翻訳/MZ?編集/TF)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜