工藤 和直 2020年1月25日(土) 20時(shí)50分
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蘇州城の南西角に盤門があるが、その南にある?yún)议T橋については、日中戦爭(zhēng)時(shí)の辛い歴史がある。呉門橋は宋代元豊7年(西暦1084年)に創(chuàng)建され、當(dāng)初は「新橋」とか「三條橋」とか呼ばれた。
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蘇州城の南西角に盤門があるが、その南にある?yún)议T橋については、日中戦爭(zhēng)時(shí)の辛い歴史がある。呉門橋は宋代元豊7年(西暦1084年)に創(chuàng)建され、當(dāng)初は「新橋」とか「三條橋」とか呼ばれた。盤門の南に位置し、「呉國(guó)」への入り口となったので「呉門橋」となった。明?清時(shí)代に改修され、同治11年(西暦1872年)に単孔橋となり現(xiàn)在に至っている。盤門路に入るには、この橋を通るしかない(寫真1)。かの文豪谷崎潤(rùn)一郎も蘇州訪問(wèn)時(shí)は盤門南の日本人租界地で宿をとり、翌日ロバで城內(nèi)に入ったと日記にある。
【その他の寫真】
國(guó)立北京女子高等師範(fàn)大學(xué)の學(xué)長(zhǎng)であった無(wú)錫人、楊蔭楡(1884~1938年)は、日本の東京高等師範(fàn)學(xué)校に留學(xué)、帰國(guó)後アメリカコロンビア大學(xué)へも留學(xué)した才女でもあった(寫真2)。魯迅との論爭(zhēng)に破れ故郷蘇州で學(xué)校設(shè)立、その跡は城內(nèi)東北部の藕園內(nèi)に殘る。折しも日中戦爭(zhēng)の折、蘇州に駐屯した日本軍は彼女の住む新橋巷(盤門の北)で婦女子に対する暴行を行う。楊女史は巧みな日本語(yǔ)で抗議を行うが認(rèn)められず、1938年1月1日呉門橋に逃れる途中で日本軍の銃弾により落命した。良妻賢母を基本とする保守的な思想家ではあったが、1924年12月に中國(guó)で初めて女性の國(guó)立大學(xué)長(zhǎng)に任命された功績(jī)は大きい。
橋ではないが、同じような女性の悲しみが聞こえるのが、蘇州城北東門になる「斉門」である。斉門は呉王「闔閭」(紀(jì)元前 514~496年在位)が最初に作った水陸8門の一つである。闔閭は北國(guó)の「斉」との戦いで勝利を治め、斉景公の王女を闔閭の長(zhǎng)男“波(終累)”(夫差の兄)と結(jié)婚させた。王女は半ば人質(zhì)同然の待遇であった。しかも呉都「姑蘇」は田舎臭く、王女は日夜悲泣したという。闔閭は王女のために北門(斉門)に九層の高樓を建て、「國(guó)が戀しくなれば、高樓から故郷を望見(jiàn)すれば良い」と慰めたが、ついに病気になり亡くなった。この北門の事をその後「望斉門」ともいうようになった。
太子“波”はこの王女をたいそう愛(ài)していたため、その死を悼むこと一方ではなかった。やがて太子“波”も病気になり、一年後に後を追うが如く夭折した。そのため、太子は次男の「夫差」となった?,F(xiàn)在、その高樓はない(寫真3)。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問(wèn)として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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