<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>習(xí)近平の思惑と苦悩―「毛沢東回帰」は混亂社會(huì)の安定剤?それとも危機(jī)招く劇薬か?

Record China    2013年10月7日(月) 7時(shí)20分

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APEC首脳會(huì)議では存在感を見(jiàn)せるであろう中國(guó)だが、國(guó)內(nèi)問(wèn)題に関しては苦悩が目立つ。昨年11月の第18回黨大會(huì)で総書(shū)記になったあと、習(xí)近平は頻繁に河北省を訪(fǎng)問(wèn)している。寫(xiě)真は2012年12月、同省阜平県を訪(fǎng)れた習(xí)近平。

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7日から始まるAPEC首脳會(huì)議では存在感を見(jiàn)せるであろう中國(guó)だが、しかし國(guó)內(nèi)問(wèn)題に関しては苦悩が目立つ。

その他の寫(xiě)真

昨年11月の第18回黨大會(huì)で総書(shū)記になったあと、習(xí)近平は頻繁に河北省を訪(fǎng)問(wèn)している。最初の訪(fǎng)問(wèn)は2012年12月28日?30日だった。訪(fǎng)れたのは零下十?dāng)?shù)度まで下がる山奧にある阜平県。中國(guó)の重點(diǎn)貧困県の一つでもある。

中國(guó)では國(guó)家主席や國(guó)務(wù)院総理になった者が、極貧層の家庭を訪(fǎng)問(wèn)し、板一枚のようなベッドに農(nóng)民と並んで腰を下ろし、皺だらけの老人の手を握るという光景がよく映し出される。貧困層に寄り添いながら施政することをアピールするためのゼスチャーだ。

 

しかし今回はこれまでと少々異なる。習(xí)近平はもっぱら河北省に行く。今年の9月23日?25日にもまた河北省に行って民主生活會(huì)を開(kāi)き「批判と自己批判」を呼びかけている。民主生活會(huì)は黨幹部で行う反省會(huì)のようなものだが、薄熙來(lái)の父親?薄一派が自分を牢屋から救い出してくれた胡耀邦を逆に突き上げて引き摺り下ろし、天安門(mén)事件の引き金となった危険な會(huì)議でもある。

 

実は昨年12月4日に開(kāi)かれた中共中央政治局會(huì)議で、「大衆(zhòng)路線(xiàn)」が決議された?!复笮\(zhòng)路線(xiàn)」とは、毛沢東が1943年6月に言った「従群衆(zhòng)來(lái)、到群衆(zhòng)中去(群衆(zhòng)の中から來(lái)たりて、群衆(zhòng)の中へ行け)」から來(lái)ている。

 

薄熙來(lái)事件が浮き彫りにした中國(guó)市場(chǎng)経済の矛盾。社會(huì)主義國(guó)家の中で自由競(jìng)爭(zhēng)を奨勵(lì)し貧富の格差をもたらした中國(guó)は、「社會(huì)主義的価値観」の再確認(rèn)と再教育が不可避だった。

 

そこでチャイナ?セブン(中共中央政治局常務(wù)委員)は、各自が中國(guó)の擔(dān)當(dāng)?shù)貐^(qū)を決めて「大衆(zhòng)路線(xiàn)の教育実踐活動(dòng)」を推進(jìn)することを決定した。擔(dān)當(dāng)?shù)貐^(qū)は黨內(nèi)序列順に書(shū)けば、「習(xí)近平:河北省、李克強(qiáng):広西チワン族自治區(qū)、張徳江:江蘇省、兪正聲:甘粛省、劉雲(yún)山:浙江省、王岐山:黒竜江省、張高麗:四川省」となっている。

 

中共中央では、この擔(dān)當(dāng)?shù)貐^(qū)を「聯(lián)系點(diǎn)」と稱(chēng)する(聯(lián)系は連絡(luò)の意)。

習(xí)近平の河北省視察を例にとるなら、習(xí)近平による「批判と自己批判は有力な武器だ」という演説や民主生活會(huì)の様子を?qū)g況中継し、吉林省、遼寧省、河南省などの黨幹部がテレビ畫(huà)面を見(jiàn)ながら學(xué)習(xí)會(huì)を開(kāi)く。同時(shí)に民政部や水利部といった中央行政省庁も區(qū)分けして學(xué)習(xí)會(huì)を開(kāi)いて討議する。こうしてチャイナ?セブンが各自分擔(dān)する地域を視察して、決められた関連地域で學(xué)習(xí)會(huì)を開(kāi)かせ、全國(guó)を網(wǎng)羅するという寸法だ。

 

今年5月21日、チャイナ?セブンも參加する形で「中共中央の群衆(zhòng)路線(xiàn)教育実踐活動(dòng)領(lǐng)導(dǎo)小組」の第一回全體會(huì)議が開(kāi)催された。朱建栄拘束に関してご紹介した中弁第9號(hào)文件(七不公講)とともに「思想統(tǒng)一と締め付け」の幕開(kāi)けである。

 

習(xí)近平は「批判と自己批判」運(yùn)動(dòng)の中で、毛沢東の「整風(fēng)運(yùn)動(dòng)」を持ち出し、「四風(fēng)」(形式主義、官僚主義、享楽主義、贅沢)を取り締って黨幹部の腐敗撲滅を狙っているはずだが、それは危険と背中合わせだ。

▼「告発」推奨と「ネット言論」弾圧の矛盾

 今年9月2日、黨幹部の腐敗告発を網(wǎng)民(ネットユーザー)に奨勵(lì)する「中共規(guī)律検査委員會(huì)監(jiān)察部」ウェブサイトが開(kāi)設(shè)された。すぐに多くの告発が網(wǎng)民から屆いた。しかしわずか一週間後の9月9日には最高人民検察院と最高人民法院(最高裁判所)が「ネット言論の司法解釈」を発布して、不適切なネット言論に刑事罰を與えることを決定した。腐敗告発を口実にネットで流すデマが黨と國(guó)家のイメージを毀損するというのが主たる理由だ。推奨しておいて逮捕するのは1957年の反右派闘爭(zhēng)と同じ手法。あのときは數(shù)十萬(wàn)の知識(shí)人が投獄された。

 

中國(guó)が抱える根本的路線(xiàn)矛盾を「特色ある社會(huì)主義國(guó)家」として「特色」の二文字で逃げるには限界がある。胡錦濤時(shí)代の2011年11月、六中全會(huì)(第六次中共中央委員會(huì)全體會(huì)議)で「文化體制改革」を提唱し、「社會(huì)主義的価値観」を中心に據(jù)えた。

 習(xí)近平政権になってから、それを?qū)g現(xiàn)する手法として毛沢東を持ち出すようになった。

 

薄熙來(lái)裁判がネックとなっていたためであるが、今年は毛沢東生誕120周年記念。毛沢東語(yǔ)録まで出版するような情報(bào)(噂?)をネットで流したのは中國(guó)政府関係者だ。しかし10月1日になると新華社が「関係者に確認(rèn)したところ、毛沢東語(yǔ)録出版はデマであって事実ではない」という奇妙な短文発信をした。どの程度までの「毛沢東回帰」になると社會(huì)不安を招くかを計(jì)るアドバルーンを挙げたものと見(jiàn)ていいだろう。

 

第18回黨大會(huì)では「腐敗を撲滅しなければ、黨が滅び、國(guó)が亡ぶ」と胡錦濤も習(xí)近平も叫んだ。その武器として毛沢東の「批判と自己批判」を復(fù)帰させ、腐敗告発ウェブサイトを強(qiáng)化しても、その結(jié)果、言論弾圧の方向に動(dòng)くとすれば本末転倒だろう。腐敗を撲滅しなければ黨は滅ぶが、腐敗を告発しすぎると黨の信用と権威に傷がつく。「批判と自己批判は有力な武器」と叫ぶ習(xí)近平の嬉しくなさそうな表情には、中國(guó)の矛盾と苦悩が滲み出ている。

(<遠(yuǎn)藤譽(yù)が斬る>第2回)

遠(yuǎn)藤譽(yù)(えんどう?ほまれ)

筑波大學(xué)名譽(yù)教授、東京福祉大學(xué)國(guó)際交流センター長(zhǎng)。1941年に中國(guó)で生まれ、53年、日本帰國(guó)。著書(shū)に『ネット大國(guó)中國(guó)―言論をめぐる攻防』『チャイナ?ナイン―中國(guó)を動(dòng) かす9人の男たち』『チャイナ?ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ?ギャップ―噛み合わない日中の歯車(chē)』、『●(上下を縦に重ねる)子チャーズ―中國(guó)建國(guó)の殘火』『完全解読「中國(guó)外交戦略」の狙い』など多數(shù)。

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