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5日、韓國(guó)?SBSは、東京の五輪博物館を訪(fǎng)れた韓國(guó)人記者の感想を紹介した。資料寫(xiě)真。
2020年2月5日、韓國(guó)?SBSは、東京の五輪博物館を訪(fǎng)れた韓國(guó)人記者の感想を紹介した。
記事によると、韓國(guó)人記者は2020年東京五輪のメーンスタジアムとなる國(guó)立競(jìng)技場(chǎng)に隣接する五輪博物館「日本オリンピックミュージアム」を訪(fǎng)れた。そこで記者は「非常に見(jiàn)慣れた寫(xiě)真を発見(jiàn)した」としている。それは「1936年ベルリン五輪のマラソン優(yōu)勝者、故?孫基禎(そんきてい、韓國(guó)名ソン?ギジョン)が表彰臺(tái)に立っている寫(xiě)真」で、「他種目の日本人の歴代五輪金メダリストと一緒に展示されており、寫(xiě)真の右下には『孫基禎、1936年ベルリン大會(huì)陸上競(jìng)技男子マラソン』との説明が日本語(yǔ)で書(shū)かれていた」と紹介。
その背景について「日本統(tǒng)治時(shí)代だった當(dāng)時(shí)、彼はKITEI SONという日本名で日本選手団の一員として出場(chǎng)して金メダルを獲得した」と説明している。
その上で「現(xiàn)在、國(guó)際オリンピック委員會(huì)(IOC)のウェブページにも日本選手だったと明示されているが、韓國(guó)側(cè)の強(qiáng)い要求で『彼の元々の名前はSohn Kee-chungで當(dāng)時(shí)韓國(guó)は日本に植民統(tǒng)治されていた。東亜日?qǐng)?bào)は孫基禎の勝利を報(bào)じる際、ユニホームにあった日の丸を抹消した。その後孫基禎は韓國(guó)の英雄になった』という內(nèi)容が追加された」とし、「しかし五輪博物館にはこのような説明が1つもなかった」と指摘。さらに「博物館を訪(fǎng)れていた日本人客に尋ねても、孫が韓國(guó)人だという事実を知っている人は1人もいなかった」と殘念な気持ちをつづっている。
これを受け、韓國(guó)のネット上では「日本は何を言っているのか」「ほら見(jiàn)ろ。こういう蠻行を目にすると、日本製品不買(mǎi)運(yùn)動(dòng)は真の獨(dú)立運(yùn)動(dòng)だと感じる」など憤る聲が相次ぎ、日本政府に対して「歴史教育をちゃんと行ってこなかった日本政府が責(zé)任を取るべき」と厳しいコメントも寄せられている。
中には「こんな狀況で東京五輪に參加しなきゃダメ?この日のために選手たちが頑張ってきたのは分かるけど、嫌だなあ」と複雑な心境を語(yǔ)るユーザーも多く見(jiàn)られた。(翻訳?編集/松村)
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