<コラム>開業(yè)110年の阪急電車、寶塚から有馬溫泉まで電車敷設の計畫があった

工藤 和直    2020年2月26日(水) 23時20分

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阪急電車は前身を箕面有馬電気軌道と稱する関西の大手私鉄である。阪神電気鉄道や京浜電気鉄道の事例に倣って、汽車ではなく新たに出現(xiàn)し始めていた電車(電気軌道)を用いた。

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阪急電車は前身を箕面有馬電気軌道と稱する関西の大手私鉄である。阪神電気鉄道や京浜電気鉄道の事例に倣って、汽車ではなく新たに出現(xiàn)し始めていた電車(電気軌道)を用いた。1907年10月19日、箕面有馬電気軌道が設立され社名の通り路線に當初計畫の池田-寶塚-有馬間の延伸線が含まれていた。1910年3月10日に梅田駅-寶塚駅間と石橋駅-箕面駅間を同時開業(yè)させ、この3月で開業(yè)110年になる(寫真1)。この時は軌道(路面電車)扱いであったことから、梅田駅-北野駅間(廃駅)、十三駅-三國駅間、豊中駅-石橋駅間、桜井駅-牧落駅間に路面電車が存在した。

その他の寫真

いざ開業(yè)してみれば営業(yè)成績は良好で、開業(yè)間もない頃の収入は當初計畫の2倍になったという。だが一方で、開業(yè)から8日間に早くも列車衝突事故を2件起こし3名が死亡するという事態(tài)が発生、大阪毎日新聞にも書き立てられた。最初の梅田駅は現(xiàn)在の阪急百貨店の南端にあった?,F(xiàn)在も店前に北に延びるドーム狀のコンコースがあるが、ここは線路跡である?,F(xiàn)在の梅田駅は昭和48年(1973年)にJR高架橋の北側(cè)に移転した。昭和41年から工事にかかり7年後に完成した。2019年10月1日には、従來の阪急梅田駅から大阪梅田駅に改稱した。

1913年(大正2年)十三駅から分岐し伊丹を経て門戸にいたる路線の免許を得、既にあった灘循環(huán)電気軌道(西宮-門戸間の申請済)に接続して阪神間直通路線を計畫していた。灘循環(huán)電気軌道はJR西宮前の國道2號線沿い阪神間14kmを結(jié)んだ電気軌道會社であった。ところが翌年、灘循環(huán)電気軌道は北浜銀行破綻により資金難となった。箕面有馬電気軌道は灘循環(huán)電気軌道を合併吸収し、十三から直通路線で神戸に行く計畫に変更したので、伊丹町?園田村その他関係町村から強い反対が起こった。それに対し、當初の計畫を変更して塚口駅経由の現(xiàn)在線と塚口-伊丹間の支線を建設することとし、1920年7月に神戸線?伊丹支線を同時開通させた。1921年には西寶線(今の今津線)として寶塚-西宮北間を開業(yè)、梅田-寶塚-西宮北-梅田の循環(huán)路線が完成した。

1918年頃、現(xiàn)狀路線だけでは発展に限りがあると判斷し、社名を阪神急行電鉄(「阪急」という呼稱はこれ以後誕生)と改稱し、事業(yè)の多角化を図った。1943年(昭和18年)、京阪電気鉄道と鉄道大臣裁定にて対等合併して京阪神急行電鉄となった。京阪電気鉄道は大正5~11年の間に、天神橋-淡路-高槻-西院を営業(yè)しており、これが現(xiàn)在の阪急京都線となる。戦後、1949年に京阪(舊新京阪鉄道の路線を除く)を再分離後、1973年に阪急電鉄と改稱した。なお、2005年に持株會社化で本體は阪急ホールディングスと改稱、2006年には阪神電気鉄道系列との経営統(tǒng)合で阪急阪神ホールディングスとなっている。

寶塚から有馬溫泉までの延長計畫は、日帰り客が増えて減収になることを懸念した有馬宿場の反対と、幾多の山を越える路線は難工事で當時の1型電車(GE製電動機37Kwh×4)では登坂が困難と予想されたため、斷念した。(地図1)赤線が當時寶塚から有馬間を直通で結(jié)ぶ予定であった幻の路線で、現(xiàn)在の國道176號線沿いに登坂して、西宮山口-北六甲臺から有馬川沿いに有馬溫泉に向かう13.9kmの路線であった。なお、大阪-有馬溫泉間の直通鉄道路線としては挫折したものの、戦後の1948年になって阪急バス有馬急行線というバス路線として現(xiàn)在も運営されている。

1932年(昭和7年)の阪急路線図(図2)を見ると、未完成で終わった路線として、伊丹→川西能勢口路線と伊丹→寶塚路線があった。伊丹→川西能勢口(當時の國鉄川西池田駅まであった能勢電鉄川西國鉄前駅)を結(jié)び妙見山に至る路線であり、県道13號線沿いのコースであった。伊丹→寶塚間は県道331號線沿いに姥ヶ茶屋を通り安倉から寶塚に向かう舊有馬街道コースであった。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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