茶妹小丸子 2020年2月28日(金) 21時(shí)30分
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今回の香港滯在では広東語(yǔ)だけで過(guò)ごせるか頑張ってみた。
今回の香港滯在では広東語(yǔ)だけで過(guò)ごせるか頑張ってみた。私が広東語(yǔ)を始めたいと思ったのは20數(shù)年前。當(dāng)時(shí)は中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)もあまり通じなくて苦労したし、當(dāng)時(shí)の香港の人たちは中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)を話せる人は大陸と商売をやっている人くらいだった。そんな狀況の香港に行く度に「あー、もっと広東語(yǔ)は話せたら!」と思いながら日本に帰って行った。
しかし、當(dāng)時(shí)の日本は中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)の學(xué)習(xí)環(huán)境もままならず、ましてや広東語(yǔ)を?qū)Wぶ人なんて本當(dāng)に極少數(shù)だった。でも香港オタクになるにつれて、そして、香港スターのアンディ?ラウを知り、「あー、アンディと話が出來(lái)たらどんなに良いだろう」と半ばもう妄想の世界に入っていた。當(dāng)時(shí)からアンディ?ラウと言えば香港では大スターであったし、その後日本でも映畫が公開されて人気も出てきていた。しかし、20數(shù)年前の日本の書店には広東語(yǔ)の教材なんて本當(dāng)に限られた書籍しかなく、買ったが苦労したもんだ。當(dāng)時(shí)はVCDが結(jié)構(gòu)主流だったので、香港映畫のを買ったり、日本のアニメの広東語(yǔ)版を買って見ていた。それが今ではネットやスマホの普及で広東語(yǔ)のニュースを見ることができ、広東語(yǔ)の學(xué)習(xí)アプリが充実している。本當(dāng)に便利な世の中になった。
今回も毎度のことながら香港に行く1カ月前くらいからスマホアプリのニュースや日本のアニメの広東語(yǔ)版を見たりしたが、出発の數(shù)日前になるといろいろと忙しくなり、なかなか勉強(qiáng)できず、結(jié)局今回も香港でぶっつけ本番の羽目に。トホホです。それでも香港に行ったらなるべく広東語(yǔ)を話そうと頑張った。日本で勉強(qiáng)していると話す相手がいないから、自分がどれだけ上達(dá)したのかわからない。とりあえずニュースやアニメを見てなるべくヒアリングをして耳に慣れて一つでも単語(yǔ)を覚えて話すようにしようとトライした。
広東語(yǔ)は中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)の発音とは全く違う。もう標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)とは別の言語(yǔ)と思った方がいい。そして、香港の空港に著いてすぐ交通カードを買わなくてはいけなくなり、個(gè)々でまず広東語(yǔ)を話してみたら、通じた!ちゃんと伝えた枚數(shù)を買えた。このあとはタクシーに乗らなくてはいけない。さあ、私が伝える目的地に行ってくれるか?もうドキドキした。そうしたら、ちゃんと私の言った広東語(yǔ)が通じて、ホテルに著いていた。よっしゃー!と喜んだ。チェックインの時(shí)も広東語(yǔ)でなんと全部できた!やったー!
よし、この調(diào)子で頑張ろう、と次の日は長(zhǎng)年の友人と食事の約束をしていた。そして友人が自分の友達(dá)數(shù)人を連れて來(lái)てくれて盛り上がった。皆私が広東語(yǔ)を話せないのを知ってか知らずか、第一アプローチは広東語(yǔ)だった。私もなるべく広東語(yǔ)で反応しようと必死だったが、なんとか皆さんと話ができるようになった。
香港滯在中だんだん耳に慣れてきて、少しずつ単語(yǔ)も増えていった。スタンレーマーケットに行った時(shí)は買い物する時(shí)に広東語(yǔ)で店のおばちゃんと値段交渉もしてみた。そうして、おばちゃんから「こんな雨の中よく買い物に來(lái)てくれたね、香港のどっから來(lái)たんだい?」と言われたので、「どこって數(shù)日前に日本から來(lái)たばっかりよ」と話すと、おばちゃんは「ほんとに?ずっと香港に住んでるんじゃないの?ずいぶん広東語(yǔ)がうまいじゃないの!私はそんなに広東語(yǔ)を話す日本人に遭遇したことがないわ」と言っていた。まあ、お世辭かもしれないが、お世辭でもうれしかった。私が「ただの香港オタクよ。広東語(yǔ)も面白いと思って趣味でやってるだけ」と言うと驚いていた。まあ、お世辭でもお褒めの言葉をいただけてうれしかった。
私が何で広東語(yǔ)にこだわるのか?それは、香港人のプライドとアイデンティティーを知っていたからだ。1997年に香港が中國(guó)本土に返還される前には香港の街には中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)を教える教室が亂立していた。そして香港の歌手も中國(guó)語(yǔ)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)のCDを結(jié)構(gòu)発売していた。しかし、香港返還から數(shù)年後、これらの教室の數(shù)はみるみる減り、今では數(shù)軒あるかないかになっていた?,F(xiàn)在では學(xué)校で教えるそうだ。香港が中國(guó)に返還された數(shù)年後、こうした雰囲気はすっかり変わっていた。香港人はいつしか自分達(dá)のアイデンティティーをしっかりと認(rèn)識(shí)するようになった。自分たちは香港人であって中國(guó)人ではない、公用語(yǔ)はあくまでも広東語(yǔ)という認(rèn)識(shí)が以前よりもさらに強(qiáng)くなったように外國(guó)人の私でも感じた。
私も香港に何度も足を運(yùn)ぶうちにやはり広東語(yǔ)を話さないと香港滯在が楽しくないのかもしれないと感じるようになった。香港の人たちも確かに一部の中國(guó)と商売をしている人の中には中國(guó)の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)を話す人もいるが、香港人にとっては標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)はあくまでも第2外國(guó)語(yǔ)などの位置づけに過(guò)ぎない。香港で楽しく滯在するにはやはり広東語(yǔ)を話せないと滯在の楽しさも半減するかもしれないと感じるようになった。広東語(yǔ)も面白そうだと思って勉強(qiáng)を決心したのは良いが、20數(shù)年前の日本の書店には広東語(yǔ)の教材は極わずか。私が考えついた方法が香港に行った時(shí)に日本のアニメの広東語(yǔ)版のVCDを買って見ることだった。當(dāng)時(shí)はVCDが主流だったので、これを見ることができる機(jī)械も買った。
ところが今はスマホやタブレットの発達(dá)により外國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)する環(huán)境がバッチリだ。私もこうした恩恵に便乗している。今回も行く前に毎日ニュースなどをBGMの代わりに流してヒアリングを鍛えようと実踐するようにした。問(wèn)題は現(xiàn)地に著いてからだ。
香港空港に著いてすぐに交通カードを買わなくてはいけなかったのだが、ちょっと頭の中を切り替えなければいけない。北京語(yǔ)は仕事で使っているから私の頭の中の中國(guó)語(yǔ)系の言語(yǔ)は北京語(yǔ)になっている。これを広東語(yǔ)モードに切り替えなければいけない。とちょっと3分ほど充電してからいざきっぷ売り場(chǎng)に?!弗去靴?枚ください」と言ってみた。そうしたらちゃんと2枚渡されて來(lái)た。おー、出來(lái)た!これであとは周りの香港人の広東語(yǔ)を街に出ながら耳に入れていこ!と。実踐あるのみ?。盎赝弗靴咯`ン)
今回広東語(yǔ)の実踐はいつもよりも恵まれていた。それは私の香港人の友人が自分の友達(dá)を數(shù)人連れてきてくれて一緒に食事をしたり、話をする時(shí)間がたくさんあったからだ。そして、店に行ったら行ったで香港は新型コロナウイルスのせいで今までたくさん來(lái)ていた大陸の観光客が少なく、店も暇だったからだ。
私がお店に入ると、お店の人は私が日本人だとは全く気が付かないようなので、當(dāng)然広東語(yǔ)でアプローチをしてくる。そうすると私も広東語(yǔ)で返す。次に私が買いたい商品が見つかると次に聞くのが違う色があるかどうかや値段だ。とこうして會(huì)話がつながって行く。最後の最後でお店の人は私が日本人だとやっと知ることになる。クレジットカードで支払いをしたときだ。そうなるとお店の人は私の顔を見て「えーっともしかして日本人ですか?」と聞かれる?!袱饯Δ扦工?、私は日本人です」と答えると、お店の人は「えー!本當(dāng)に?日本人も広東語(yǔ)を話すの?香港に住んでるとか?」と聞く人もいた。
私が「いやいや、數(shù)日前に日本から來(lái)たばかりですよ」と答えると、店の人は「何で広東語(yǔ)を話せるの?」と言うので、「何でと言われたら、どう回答したらいいのか…。それは香港オタクだから?(笑)」と答えると笑っていたが、お店の人のほとんどは「そんなに広東語(yǔ)を話す日本人って私は見たことないよ」と言う。私は「えー!だって香港には日本人が結(jié)構(gòu)住んでるでしょ?彼らがここに來(lái)る時(shí)には一體何の言語(yǔ)を話してる?広東語(yǔ)じゃないの?」と言うと、お店の人は「彼らは日本語(yǔ)か英語(yǔ)だよ。広東語(yǔ)を話す日本人はほとんどいないよ。あんたみたいな人は珍しいよ」と褒められたのか珍獣扱いされたのかよくわからない反応だったが、私としてはお店の人に広東語(yǔ)が上達(dá)したことを褒められたからとてもうれしかった。やってて良かったと思った。これで香港の滯在も楽しくできるとも思った。
と、こうした會(huì)話は実は店に行く度に言われて、毎回毎回同じ內(nèi)容の會(huì)話がなされていた。香港人にとって外國(guó)人が広東語(yǔ)を話してくれるというのは香港人を理解してくれていると認(rèn)識(shí)するようだ。特に今、香港は中國(guó)との関係で微妙な立ち位置にあるので、広東語(yǔ)を勉強(qiáng)してくれているということは香港のことをよく理解してくれて、自分たちのアイデンティティーを認(rèn)めて理解してくれているという認(rèn)識(shí)だそう。これは私の香港の友人が私に話してくれた。
こうした私の努力も少しは報(bào)われてお店に行って買い物をすればおまけを數(shù)個(gè)くれるというありがたいサービスも受けることができ、とても楽しい滯在になった。私が広東語(yǔ)をやって良かったと感じたのは數(shù)年前。香港の大スターのアンディ?ラウが日本に來(lái)た時(shí)に私はファンミーティングに參加した。その時(shí)に「質(zhì)問(wèn)したい人は手を挙げて!」と言われ、ダメ元で手を挙げたら、私にチャンスが來(lái)た。私は勇気を出して広東語(yǔ)で質(zhì)問(wèn)してみたら、ちゃんと私の質(zhì)問(wèn)に応えてくれた。あの時(shí)ほど広東語(yǔ)をやっていて良かったと感じたことはなかった。私は今回も同じことを思った。広東語(yǔ)はほとんどオタクで趣味の世界だけど、香港オタクの私にとっては大事なツールなのでこれからも続けて行こうと誓った。
■筆者プロフィール:茶妹小丸子
1967年生まれ。千葉県出身。中國(guó)浙江省杭州大學(xué)(現(xiàn)浙江大學(xué))漢語(yǔ)進(jìn)修コースに1年留學(xué)。広西チワン族自治區(qū)外貿(mào)公司駐日本代表事務(wù)所に5年の勤務(wù)、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業(yè)主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。 Facebookはこちら※フォローはメッセージ付きで。
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