小島康譽 2020年3月7日(土) 16時20分
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ニヤ遺跡はタクラマカン沙漠南縁ミンフゥンから約100km北上した一帯に殘る、二千年ほど前に栄えた古代都市で、『漢書』記載の「精絶國」と比定されている。寫真はニヤ遺跡めざし「右だ、左だ」と前進(jìn)。
習(xí)近平國家主席が提唱した「一帯一路」は経済の道、政治の道であると同時に文化の道、國際協(xié)力の道でもある。1982年以來「一帯一路」の重要地帯である新疆ウイグル自治區(qū)を150回以上訪問し、実踐してきた世界的文化遺産保護(hù)研究などを連載中。
キジル千仏洞修復(fù)活動の過程で、新疆文化庁の韓処長が「新疆には三大遺跡がある。樓蘭?キジル?ニヤだ。樓蘭は基本調(diào)査がおわり、キジルは日本からの資金協(xié)力で修復(fù)中、ニヤ遺跡は大規(guī)模で本格的調(diào)査が行われていない」と。筆者は即座に共同調(diào)査を提案した。キジル千仏洞保存寄付と同じで、即行動する“悪いクセ”であった。
ニヤ遺跡はタクラマカン沙漠南縁ミンフゥンから約100km北上した一帯に殘る、二千年ほど前に栄えた古代都市で、『漢書』記載の「精絶國」と比定されている。東西約7km?南北約25km(周辺を含む)という広大な範(fàn)囲に、仏塔を中心に、寺院?住居?墓地などが殘っている?!肝饔?6國」の殘存する都市では今や最大の都市國家遺跡であり、世界最大の木造都市遺跡である。古代西域研究に欠かせない重要な位置をしめ、世界的文化遺産ともいえる規(guī)模と価値を有している。
筆者の共同調(diào)査提案に韓処長はすぐに同意したものの、この時も許可をえるには長い時間を要した。過去の西域一帯における大谷探検隊をふくむ外國人による文化財持ち出しや遺跡が未開放地區(qū)に屬しているからである。
1988年の第一次調(diào)査は沙漠車やGPSといった近代裝備のない、まさに「探検」だった。ミンフゥンから小オアシスまでの約90kmに12時間余を要した。道らしい道も無く車輪が砂にとられて度々スタックするためだ。オアシス現(xiàn)地民の小屋で雑魚寢。翌日、牛や羊の糞の浮いた水を錆びついたタンクに汲んでいるので、ラクダ用の水かと聞くと、人間用だとの答え。これには唖然とした。ラクダに裝備を積み、その上に跨り遺跡を目指した。
頼りとしたのは、1901年ニヤ遺跡を発見したスタインの報告書の略図と1980年にNHK?CCTV取材班を案內(nèi)した研究員やラクダ使いの記憶だけ。安全のために政府から派遣された無線士の定期交信は「現(xiàn)在地不明なれど、全員無事」であった。モールス信號用のアンテナを立てる度に小1時間を要した。タマリックス堆の間を「右だ、左だ」とラクダで3日かけてようやく遺跡中心の仏塔にたどりついた。11月6日早朝である。ここに畫期的調(diào)査の幕が開いた。この感激は今も忘れられない。規(guī)模と価値から筆者らは「シルクロードのポンペイ」?「幻の古代都市」と稱した。今では方々で使われている。
■筆者プロフィール:小島康譽
浄土宗僧侶?佛教大學(xué)內(nèi)ニヤ遺跡學(xué)術(shù)研究機構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。 ブログ「國獻(xiàn)男子ほんわか日記」 <新疆は良いところ>小島康譽 挨拶―<新疆是個好地方> 書籍はこちら(amazon) 小島康譽氏コラム
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