工藤 和直 2020年3月29日(日) 19時30分
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西暦1229年に造られた蘇州城石碑刻「平江図」によると、蘇州城內(nèi)に総延長で80kmに及ぶ運(yùn)河がある。基本は三橫四直であるが、これを土臺にして7直14橫と言うほど多くの支流がある。
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西暦1229年に造られた蘇州城石碑刻「平江図」によると、蘇州城內(nèi)(4.5km×3.5km)に総延長で80kmに及ぶ運(yùn)河がある?;兢先龣M四直(三つの東西に走るクリークと四つの南北に走るクリーク)であるが、これを土臺にして7直14橫と言うほど多くの支流がある。南北に7本、東西に14本のクリークから形成され、網(wǎng)の目のような水路による水上輸送システムを持つ城郭都市であることが容易に想像できる。加えてこの平江図によると359座の小橋が記録されている。
【その他の寫真】
三橫四直については『呉地記後本源文』に“城中有大河、三橫四直”とあるのが最も古い(図1)。宋淳煕十三年(西暦1186年)に添記されたものだ。清時代に、三橫四直について記した碑文が殘っている?!该髑逄K州工商業(yè)碑刻集」(江蘇人民出版社、1981年)に収録された『蘇郡城河三橫四直図説:嘉慶二年(西暦1797年)』で、三橫四直は以下のように書かれている。この石刻碑は察院場にある城隍廟本堂北に現(xiàn)存する。
第一橫河は西にある閶門水関橋から始まり、至徳橋を経由して皋(Gao)橋で第一直河と交わり、南過軍橋に至って第二直河に流入するものがある。これは、第一橫河の南の分支であって、里水関橋の內(nèi)側(cè)から北行し尚義橋(平江図には記入がない)に至るのが北の分支であり、ここで東に折れて桃花橋?日暉橋(北過軍橋)を通って第二直河を橫切り、単家橋で南の分支と合わり、東行して香花橋(南北は人民路)を通過し跨塘橋に至って第三直河橫切り、また東行して臨頓橋を経て華陽橋に至る。ここで南行するものと東行するものとに分かれ、南行するものは第四直河となり、東行する河は最終的には婁関に出る。途中、楚勝橋(平江図では百口橋)で北行し北園橋?北國倉庫橋となる支流がある。
第二橫河は第一直河の水を引き渡子橋に始まる。東行して芮橋に至り、第二直河を橫切り、さらに東行して楽橋(呉時代からある)?乗魚橋に至り、東行して顧家橋を通り、ここで第三直河と合流して、さらに東行して苑橋に至り、第四直河を橫切り、昇龍橋?七君子橋?顧亭橋に至って內(nèi)城濠に流入して最終的には相門に出る。この第二橫河は干將河と言われ、かつて17の橋があったと記録されている。
第三橫河もまた第一直河の水を引き、歌薫橋(平江図では明澤橋)から始まり、東行して吉利橋を通り、志成橋にて今は無い第二直河を橫切り、さらに東に流れ引馬橋(飲馬橋)に至る。その後東行して今は無き夏侯橋に至り、北の顧家橋下から來た第二橫河の支流と合流、さらに東行して第四直河と合流して望星橋から盛家?guī)·蜾a南(斜めに蛇行するさま)して葑門に出る。夏侯橋から南行し、平江図には記入がない帝賜蓮橋に至り、東に折れて長洲県福民橋を経て清代織造署前の織造橋(平江図には記入がないが、紅板橋と清代記録)から越城橋に至り直接葑門に出るが、これは第三橫河の別流である。第三橫河は現(xiàn)在飲馬橋で終わり、その東部分は埋められ十梓路になっている。
第一直河は皋橋に始まり、南行して昇平橋に至り歌薫橋(平江図では明澤橋)から盤門城橋まで真っ直ぐ流れて內(nèi)城壕に入る。黃鸝(Huang Li)橋の南、金門付近に夏駕湖があったが、そこに流れる支流に梵內(nèi)橋があった。その欄干のみを見ることができる。
第二直河は教場河に始まり単家橋の南で第一橫河を橫切り、また河沿街に沿って南行して南過軍橋で西から來た別流に合流する。現(xiàn)狀の第二直河はここまでであるが、現(xiàn)在王天井巷になり南下、第二橫河を橫切り、さらに南行して志成橋で第三橫河となり、また書院巷で西行して盤門新橋で第一直河と合流する。第二直河もまた道路となっている。
第三直河は北の斉門橋?賭帯橋(平江図には記載がない)から始まり、跨塘橋の南で第一橫河を橫切り、南行して懸橋(平江図では県東橋)で城心支河を橫切り、臨頓河と並行して南行し、顧家橋で第二橫河に合流して昇龍橋?七君子橋を通り內(nèi)城河に流入し、相門から出る。
第四直河は北の華陽橋から始まり、第一橫河の水を引いて南流して奚家橋に至る。ここで東の其林巷に通じる支河が一本ある。また南行して新橋に至り、城心支河を橫切り思婆橋に至ると、東に転じる別の小支河が一本あり、別名を玉帯河といい長元學(xué)宮を廻って第二橫河に流入する。以上の両支河は舊志にはない。第四直河はさらに南行して苑橋に至り、第二橫河を橫切り官太尉橋に進(jìn)み、斜め東に流れて望星橋に至り、第三橫河と合流して葑門に出る。
以上の縦に4本、橫に3本が幹線河であるが、城內(nèi)中心に別の支河がもう一ある。舊志には載っていないが、現(xiàn)在の人民路になる支流は第二直河の水を引き、范莊前(范文正公祠前)と玄妙観の後を経由し、東行して懸橋(長州県橋)付近に至り、第三直河を橫切って更に東に流れて新橋に至り、第四直河を橫切り東に流れ內(nèi)城濠に入り婁門に出るものである。以上が嘉慶二年(西暦1797年)の石碑に記載された三橫四直の概要である(寫真1)。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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