工藤 和直 2020年4月6日(月) 23時20分
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蘇州は橋が多いことで知られる。宋代に石碑刻された「平江図」には359座の橋が描かれている。
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唐代の詩人白居易(西暦772年~846年)は「遠近高低寺間出、東西南北橋相望」「緑浪東西南北水、紅欄三百九十橋」と詠い、劉馬蹄も「春城三宮七十橋、爽岸朱樓來柳茶」と詠むように、蘇州は橋が多いことで知られる。宋代に石碑刻された「平江図」には359座の橋が描かれている。杜荀鶴(西暦846年~904年)は、送人遊呉(人の呉に遊ぶを送る)の中で蘇州の街の情景を下記のように詠っている。
【その他の寫真】
君至姑蘇見 君、姑蘇(蘇州)に至りて見れば
人家盡枕河 人家盡く河を枕とする
古宮閑地少 古宮に閑地少なく
水巷小橋多 水巷小橋多し
夜市売菱藕 夜市、菱と藕(蓮根)を売り
春船載綺羅 春船綺羅を載せる
蘇州の橋は、宋の時代に石橋となった。唐の時代は木造であったことが白居易の漢詩「紅欄三百九十橋」から伺え、木は赤く塗られていた。唐の時代390座あったが、北宋時代から石造りに大改修が始まり、至和2年(1055年)には52座が修理、中呉記聞には360座となり南宋紹定2年(西暦1229年)平江図によると359座となっている。その後明代には311座、清代には510座、民國時代には349座が記録されている。そして現(xiàn)在地下鉄工事で、破壊され消滅した橋も多くあるが、現(xiàn)在は“172座”が筆者の腳で踏破し出した結論である(図1)。
春秋後期(紀元前512年)蘇州城は周囲48里、陸門8?水門8があり、城內(nèi)には臨頓橋?烏鵲橋?帯城橋?苑橋?憩橋が記録され、その後秦代には昇平橋?織里橋?乗魚橋?剪金橋?呉王橋、漢代には皋(Gao)橋?顧家橋、三國呉時代には楽橋(市の中心)が記録されている。隋代河北省に創(chuàng)建された趙州橋(安済橋)が50.8m長、宋代西暦1047年創(chuàng)建の呉江「垂虹橋」は全長450mに渡る江淅最長の石橋であったことが記録されている。殘念ながら、現(xiàn)在は3つに分斷し、最長でも40~50mとなっている(寫真1)。呉中區(qū)に317mの寶帯橋があるが、現(xiàn)存では中國最長である。
蘇州城內(nèi)の水の流れは西の閶門、北の平門?斉門から入り、城內(nèi)を西から東南に緩やかに流れ、東の婁門?葑門および南の盤門に向けて城外に流れ出る構造になっている。では、蘇州城內(nèi)一度は見ておくべき必見の橋を三橫四直の運河にあわせて紹介することにしよう(參考:古呉軒出版社「蘇州古橋文化」)。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學大學院工學研究科修了。韓國で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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