<コラム>地球文明の國になれるか日本 その6

石川希理    2020年4月16日(木) 23時(shí)10分

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コンピューター?AIは人間を超えるか?

コンピューター?AIは人間を超えるか?

大上段に振りかぶったタイトルだと書いたが、タイトルの地球文明というのが、どういう方向性を指すのか、述べておこう。

「シンギュラリティー」という言葉がある。次々に英語が現(xiàn)れて、しかも和製英語化されるので、高齢者は大変だ。(笑)

「いや、若者も大変だよ」「そうだろうなあ」

さて「シンギュラリティー」というのは「特異點(diǎn)」という意味で、アメリカの未來學(xué)者レイ?カーツワイルの予測した事象のことである。それは人工知能(AI)が人間を超える時(shí)點(diǎn)で、2045年だそうだ。現(xiàn)在でも、特定の計(jì)算機(jī)能などは人間を凌駕しているが、「全人間存在の知的機(jī)能」が、人間を超えるというのは、人間の役目はないということにも直結(jié)しかねない。

感情も持つのだろう。もっとも、人工知能?コンピューターの進(jìn)歩については、小説や映畫が先行している。イギリスのアーサー?C?クラークはスタンリー?キューブリックとともに1968年『2001年宇宙の旅』という映畫を作り、小説も発表している。[スタンリー?キューブリックは映畫監(jiān)督で、『スパルタカス』『博士の異常な愛情』『時(shí)計(jì)じかけのオレンジ』『フルメタルジャケット』などで有名]

この『2001年宇宙の旅』は、現(xiàn)在でも見るに耐えるだろうと私は思う。1968年というと昭和43年で、因みに私は21歳であった。髪の毛も黒々とふさふさしていた(笑)

當(dāng)然、CGはない時(shí)代である。宇宙船に近づくと、船內(nèi)の人間が動(dòng)いているというシーンは、1コマずつフィルムに描き込んだというから恐れ入る。會(huì)話が極めて少なく、最終場面は哲學(xué)的で解釈が入り亂れた。しかし當(dāng)時(shí)の世界年間興行収入で1位を記録している。そして現(xiàn)在では世界映畫史に殘る不朽の名作のひとつとして認(rèn)識(shí)されている。おもしろいのは、日本の文部科學(xué)省がSFなのに唯一「特選」に指定していることである(笑)。脫線した。すみません。いつものことだなあ…。

さて、この映畫の宇宙船の中で「HAL9000」というコンピュータが「殺人」を犯す。もう、半世紀(jì)も前に、コンピュータは人間性を獲得している。この點(diǎn)では手塚治蟲の「鉄腕アトム」も負(fù)けてはいない。1952年(昭和27年)から始まり、1963年(昭和38年)から日本初のテレビアニメとなっている。アメリカでは「アストロボーイ」として放映されている。もちろん、次第にアトムが人間的感情を持ち、悩む姿が描かれている。

こういう風(fēng)に記述すると、シンギュラリティーが、起こるのは確実な気がする。ただ、「人間らしさというのは、そんなに簡単なものじゃないだろう」という気はする。全ての生物は複雑な有機(jī)物だが、人間は、ある意味、特殊な生命體である。それは脳に集約される。その脳は、青山學(xué)院大教授?生物學(xué)者の福岡伸一先生によると「AIは人間の脳の神経回路をモデルとしているが、脳の仕組みはいまだ謎が多い」とされる臓器である。

実際、ロボトミー手術(shù)が昔、行われた。脳の前頭前野を切除して、極度に興奮するような精神疾患を抑制しようとした。この部位は、意志、學(xué)習(xí)、言語、類推、計(jì)畫性、衝動(dòng)の抑制、社會(huì)性など人間を人間たらしめている高次機(jī)能の中心で、ロボトミーは大きな後遺癥を殘し、現(xiàn)在は禁止されている。

醫(yī)師のドラマなどで、脳を切り開いたり、ガンを切除したりするものもあり、なんとなく「醫(yī)療は脳を解明しつつある」と錯(cuò)覚しそうだが、実はよくわかっていない。例えば、犬と貓の區(qū)別は、コンピューターに1萬枚の寫真を見せて、ようやく判別が出來だす。だが、人間の5歳児はそれをいとも簡単にやってのける。総合的な経験智のなせる業(yè)かもしれないが、よくわかっていない。

そしてこの人間だけに與えられた発達(dá)した脳が、本來の機(jī)能を存分に発揮していないことが大問題である。人間は「ホモ?サピエンス」というが、賢い人間という訳より、「英知ある人間」と表現(xiàn)した方が良いだろう。この英知(理性的賢さ)が、どうも脳で活動(dòng)していない。むしろ、動(dòng)物的本能(生存欲?食欲?性欲)によって英知が動(dòng)かされている、利用されている。無論、動(dòng)物的本能(生存欲?食欲、性欲)にしたがった結(jié)果、競爭し生き殘るために知識(shí)が増加し、経済の発達(dá)や利益を生み出していく。権力?名譽(yù)などを求めて努力し、科學(xué)?社會(huì)の発展がなされて來る。つまり、理性は動(dòng)物的本能の上位なはずが、実態(tài)は動(dòng)物的本能に包摂される概念として捉えられ、利用されてきた面が強(qiáng)い。

理性的に過ごそうとして、ソクラテスは対話法によって普遍的な真理を追究した。無知を自覚する大切さを説いた?!溉摔趣稀埂溉松趣稀埂甘澜绀趣稀工趣いφ軐W(xué)である。これは歐米の文化の基礎(chǔ)にもなっている。「知」を求める礎(chǔ)でもある。科學(xué)的発展の因ともいえる。ただ、肥大化する本能を制御出來る「知」「知恵」とはなりにくくなっている。

孔子儒教の祖だが、「仁」「忠?孝」を人の道とした。いうまでもなく東アジア、東南アジアの文化的背景だ。社會(huì)的規(guī)範(fàn)だが、現(xiàn)代社會(huì)においては、國家社會(huì)?個(gè)人ともに、そのあり方が変質(zhì)して、動(dòng)物的本能に駆逐されつつある。

現(xiàn)在、世界はその動(dòng)物的本能に振り回されつつある。核兵器?地球溫暖化?ポピュリズムなどは、自らの生活?利益のために、自らの生存を危うくする技術(shù)?現(xiàn)象である。77億の人口は30年後には100億になると予測されているが、地球上の種の中で、一つの種が100億を維持し続けるというのは異常事態(tài)である。食糧?住環(huán)境?快適な生活を求めて、地球環(huán)境を考慮しないと、自らの滅びの道を歩みつつあることになる。

つづく

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學(xué)校?飛松中學(xué)校?星陵高校?神戸學(xué)院大學(xué)?仏教大學(xué)卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強(qiáng)と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學(xué))をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時(shí)折友人達(dá)などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時(shí)折禁酒(笑)。中學(xué)教員から県や市の教育行政職、大學(xué)の準(zhǔn)教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學(xué)のアンソロジー単行本數(shù)冊(cè)。小説の自家版文庫本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想?仏教」などの講演會(huì)をしてきました。

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