黃 文葦 2020年7月9日(木) 17時40分
拡大
東京と北京では、新型コロナへの対応の差があまりにも大きい。寫真は緊急事態(tài)宣言下の東京。
2020年6月14日、日本と中國の首都、東京と北京で數(shù)十人の新型コロナの新規(guī)感染者が確認された。北京36人、東京47人。しかし、2つの首都は、世の中に見せたリアクションが全然違った。
北京政府がある?yún)^(qū)の副區(qū)長など4人の指導者に免職処分、武裝警察と公安はまるで戦時狀態(tài)のように動いていた。地下鉄など公共交通の乗客が急に大幅に減少し、學校は再び休校になった。
一方、東京では人々がどんどん街に出てくる。6月19日から社會経済活動のレベルをもう一段引き上げた。都道府県をまたぐ移動も全て自由となる。コンサートなどのイベントも1000人規(guī)模で開催することが可能となる。経済活動が本格的に再開した。
東京と北京では、対応の差があまりにも大きい。日本と中國は本當に同じ種類のウイルスに面したのか、と疑問が生じるくらいであった。3月中旬、中國の官製メディアが「中國以外87182例、反超了!」(反超:逆転、上回る)の見出しで、ほっとしたように中國以外の感染者數(shù)が初めて中國本土を上回ったことを報道。中國は新型コロナに関する數(shù)字にすこぶる敏感になってしまった?!噶阈聣垺梗ㄐ乱?guī)感染者ゼロ)という言葉が人々に大きな喜びを與える。中國は新型コロナ対応の優(yōu)等生だと誇っているようである。「ゼロ」への執(zhí)念。北京で再び數(shù)十人の新規(guī)感染者が出たことで、政府は躊躇なく改めて強制的な措置を取った。數(shù)百萬人にPCR検査を行った。しかし、世界中で新型コロナの感染が拡大しているにもかかわらず、中國が「零新増」を維持できればいいという獨善的な考え方はいいだろうか。世の中、新型コロナウイルスが存在すれば、「零新増」がいつ打破されてもおかしくないだろう。
東京では、6月末から感染者が急に増えた。個人的な感覚だが、日本の新型コロナ対策を一言でいえば、「曖昧」である。新型コロナに対し、各地域にそれぞれの政策「モデル」を構(gòu)える。知事たちの考え方が違っているようである。PCR検査件數(shù)も少ない。東京では、感染拡大を示す感染者數(shù)が數(shù)日連続で3桁になり、「緊急事態(tài)」のレベルになっているのに、7月4日の時點で、緊急事態(tài)宣言は出されないまま。再び感染増でも「東京アラート」は発令されず、レインボーブリッジは赤色にライトアップされていない。普段通りのライフスタイルが戻りつつある。山手線の中には、満員狀態(tài)になっていないとはいえ、人と人との間には數(shù)センチの隙間があるだけだ。
「なぜ東京はロックダウンしないの」と中國にいる親友に不思議そうに言われた。北京ではロックダウンするのは當たり前だが、東京ではロックダウンしないのが當然のようだ。日本の法律では、強制的に外出や休業(yè)を禁止することはできない。政府が緊急事態(tài)宣言を出しても、外出や休業(yè)の「自粛要請」しかできない。それでも多くの人が要請を受け入れ、外出や営業(yè)を自粛した。政府は「新しい生活様式」を進めている。人々にはそれぞれの生き方があるので、何が不要不急か自身で判斷する。ところが、6月のNHKの世論調(diào)査では、「外出禁止や休業(yè)を強制できる法改正が必要」と答えた人が62%もいた。ちょっと意外だった。緊急事態(tài)の中、自粛はうまく機能したではないか。まさか、北京のような強制的な措置を取ってほしいのか。民衆(zhòng)の自由が制約されたら、日本は日本らしくなくなる。政府の曖昧な「要請」に民衆(zhòng)はきちんとした「自粛」で答えた。それこそ、新型コロナ時代に、世界中で日本しかできない素晴らしいことだ。
「曖昧」は日本文化の一つ。日本語の中には曖昧な表現(xiàn)が多數(shù)存在している。人間関係でも、曖昧こそ、それなりの醍醐味を味わえる。未知のウイルスに対し、ある程度の曖昧な対策を出すのも仕方がないかもしれない?!缸钌皮畏椒à虾韦工饶K鳏工肫陂gが必要。新型コロナは「人類共通の敵」だと言われているが、日本での新型コロナへの対応を見ると、むしろ「人類共通の相手」の表現(xiàn)がふさわしい気がする。ウイルスを恨まないで、共存する意識でニューノーマル時代を築いていかなければいけないと感じた。新型コロナ感染拡大の中、「もし自身が感染していたらどうしよう」と考えたことがある。感染したら人にうつさないで、積極的に治療を受けるしかない。文明社會の中でも感染癥は常に身近なものだと認識したほうがいい。無常の世を生きよう。感染への過度な恐怖は不要だろう。
強制と曖昧、新型コロナから見えた北京と東京の異なる価値観。新型コロナは不思議なウイルスで、それぞれの國の政治體制、民族の性格、民度レベルなどがはっきり出る。2020年、國々が「自閉」になっている。國境を封鎖し、獨善的な対策を取る。殘念ながら、新型コロナのワクチン開発をめぐって國々が協(xié)力し合うのではなく、世界的な競爭?対抗の情勢になっている。
東京と北京は41年間も続く友好都市である。今年2月、小池百合子東京都知事は中國の新型コロナ感染拡大に対するお見舞いのメッセージを陳吉寧北京市長へ発した。「何時も、東京都と北京市は手を取り合って困難を乗り越えます」と書かれた。6月から東京と北京は同じく新型コロナ感染拡大に直面しているが、小池百合子都知事と陳吉寧北京市長は情報交換をしたのだろうか。お互いに勵ましあったのだろうか。東京と北京は本當に手を取り合って困難を乗り越えてほしい。今、多くの日本人と中國人が両國の國境線で待っている。新型コロナのせいで、海の向こう側(cè)へ行けなくなった。一日も早く従來通りの行き來が回復するように願うばかりである。
■筆者プロフィール:黃 文葦
在日中國人作家。日中の大學でマスコミを?qū)煿イ?、両國のマスコミに従事。十數(shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黃文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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