Record China 2013年12月1日(日) 9時(shí)30分
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日本の作品の中で「気」や「気のようなもの」は、ある意味非常に使い勝手の良い「パワー」の一種として重寶されているかと思われます。寫真は湖南省で太極拳をする市民。
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ありがたいことに「アニメや漫畫に出てくる不思議パワーになっている『気』に関して、中國オタク內(nèi)では何か反応はありますか?」と言う質(zhì)問をいただいておりますので、今回はそれについてを。(文:百元籠羊)
【その他の寫真】
日本の作品の中で「気」や「気のようなもの」は、ある意味非常に使い勝手の良い「パワー」の一種として重寶されているかと思われます。中國で人気になった作品の中にはそういった要素のあるものも少なくありませんから、日本のアニメや漫畫における「気」の扱いに関して、中國オタクの面々もある程度問題無く受け入れてはいるようです。
しかし、やはり中國の感覚では引っかかる時(shí)もあるようです。そんなわけで今回は中國のソッチ系のサイトで見かけた「アニメや漫畫における気の扱い」に関するやり取りを例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
▼中國人オタクの議論
日本人はなんであんなに「気」が好きなんだ?大體どの作品も、突き詰めれば「気」の力で戦うことになっちゃうし。
覇気、霊気、気功、チャクラ…なんでだろうなぁ…日本人は気を好み過ぎるよな。
あとは妖気とかいうのもあるね?!?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=BLEACH'>BLEACH」の霊圧や霊力とかも気の一種?
「ジョジョの奇妙な冒険」の波紋も気の一種だと思っていいよな。
気がなんていうか、武器兼エネルギーになっているよね。気の大きさで強(qiáng)さを測(cè)ったり、気の有無で存在や生死を確認(rèn)したり。
いまさら聞くのもアレな話なんだが…気ってどんなもんなの?定義とかあったりする?
えーと…精神的なモノだったり時(shí)には物質(zhì)化したり気體的なモノだったり…あとは魂的なモノみたいなこともあるかな!
なんか見えないけどスゴイもんだとか思っとけばいいと思うよ!まあ、だからこそ、二次元世界では使いやすいんだろうね。日本の作品によくあるトンデモ改造や解釈が行いやすいんじゃないかと。
人間の持つ不思議なパワーといった扱いだよね。道具を使わないで人體のみで出せるエネルギーの総稱といった感じだから、なんかウチの國で言われている「気功」とはまた違うものになっているようにも感じる。
中國でも「気」って題材というか世界観の構(gòu)成要素としてかなり好まれていると思うが、日本はちょっと異常なくらいだ。オタク関係の作品では一般常識(shí)レベルというか。
ウチの國や日本に限らず東洋の方では「気」に関する認(rèn)識(shí)は一般的だとは思うし、やはりイメージしやすいんじゃないかね。
「NARUTO」のチャクラはインドの概念だったと思う。ただややこしいのは「気」という漢字を「プラーナ」というインドの言葉にあてはめる「魔裝機(jī)神」のような作品もあることだ!
西洋で魔法がよく扱われるのと同じようなもんなんじゃないの?
でもアニメや漫畫では魔法と気が両立している世界観も珍しくないんだよねぇ…正直言って自分は西洋の魔法や魔力と「気」の違いに関してよく混亂します!
「気」の概念に関しては中國武術(shù)における概念でいいはずなんだが…。
日本に行くと、気はパワーの表現(xiàn)方法や衝撃波などの飛び道具になるというイメージがある。中國武術(shù)からかなり外れちゃったりしていないか?
現(xiàn)在はもう中國武術(shù)の中の「気」ではなく、「気」だけが獨(dú)立した存在になって扱われているような印象もある。
さまざまな作品でさまざま名前が付いてはいるけど、基本的には気功のマイナーチェンジというか再定義や再解釈みたいなもんじゃない?そういった扱いから考えてみると、日本のアニメや漫畫で「気」が多用されるのはそれが日本の感覚でウケる、使い勝手の良い要素だからじゃないだろうか?
ふと思ったんだが、「殺気」や「闘気」といった言葉って中國語でいいんだよね?不安になってきた。自分の中では「殺気」や「闘気」のイメージは日本のアニメや漫畫になっちゃってるし、日本の造語なんじゃないかとも思えてきて…。
目に見えないものじゃなくて「さまざまな色がつく」、衝撃波などの「遠(yuǎn)距離攻撃」、自分の周囲を吹き飛ばす「圧力」、あとは…そうそう、火や雷なんかにも変換可能。これが二次元における「気」だ??!
改めて言われてみると、その概念を問題無く受け入れられている自分に驚くな!
日本の作品の気の扱いって中國の武俠ネタの基本である內(nèi)功や內(nèi)力とかのイメージが近いんじゃないかな。作品ごとに設(shè)定や表現(xiàn)に違いがあるから細(xì)かい違いがあるとは思うが。
日本では中國武術(shù)に対して神秘的なイメージが強(qiáng)いから、気に関してもすごいイメージがあるという話をどっかで見た覚えがある。日本のアニメや漫畫ではそういったイメージを使って、気という言葉を使った設(shè)定を作っているんじゃないだろうか。ウチの國の気の定義とかとは関係なくね。
私の個(gè)人的な考えではあるけど、日本の「気」のイメージを決定づけたのは「ドラゴンボール」だと思う。
それには私も同意。ドラゴンボール以前と以後で「気」的なものの扱いや表現(xiàn)の方法が変わったというのは確かに感じる。ドラゴンボールの気は確かに中國武術(shù)の影響を受けているけど、その後の発展の仕方は日本獨(dú)自のものになっているね。
あー…言われてみればそうか。日本人の気のイメージってドラゴンボールだというのには納得できる。ドラゴンボールなどの方向性で発展した日本の作品の「気」と、武俠系の作品などで発展したウチの國では扱いやイメージが異なってくるのも當(dāng)然か。
武俠映畫を日本人留學(xué)生と一緒に見ていた時(shí)、「なんで武術(shù)なのにビーム出すの?」とか聞かれたことがある。日本人のイメージする気のイメージや表現(xiàn)って、ウチの國とは確かに異なる部分があるようだ。
これって翻訳や意味の伝達(dá)の過程において生じた混亂の結(jié)果なのでは?日本では「気」という言葉が物質(zhì)的ではないパワーに関して非常に広い範(fàn)囲でよく使われているように思う。
翻訳というか、概念の參考にしているとかいった辺りなんじゃないかな。私は精神的なエネルギーに対する呼稱やイメージとして中國の気の概念を利用しているのではないかと思う。
イロイロと疑問というかツッコミ所はあるけど、とりあえずアニメや漫畫の中において大事なのは気で戦うのがカッコイイということだろ。普通の武器で戦うよりも気で戦ったり武器+気で戦う方が中二病的な妄想が加速しちゃうしね。
とまぁ、こんな感じで。
▼日中の「気」の違い
日本のアニメや漫畫における「気」や「気」という言葉の付くエネルギー的なモノとその扱いに関しては大丈夫なようですが、いざ細(xì)かい所を考えだすとやはりイロイロ出てくる模様です。
上の発言にもありますが、武俠系の作品や武俠ファンタジーにおける気(或いは「気」的なもの)の扱いや表現(xiàn)は、日本の作品における気の扱いとはちょっと違う気がします。
日本のアニメや漫畫における「気」の描寫や扱いが、昔の作品と今の作品では隨分と変化しているのは確かですし、そういった変遷や大きな影響を與えた作品に関して追っかけてみるのも面白いかもしれませんね。
とりあえず、こんな所で。例によってツッコミ&情報(bào)提供お待ちしております。
▼筆者プロフィール:百元籠羊
90年代から中國現(xiàn)地校に通い、當(dāng)時(shí)中國人の対日感情がどんどん悪化していく中で予想もしなかった「日本のアニメや漫畫、オタク文化が好き」な中國人達(dá)と遭遇。以後、オタクな中國人との交流が続いている。中國における日本のオタクコンテンツやいつの間にか広まっちゃった日本のオタク文化に対する反応、オタク分野の交流等についての情報(bào)を発信するブログを運(yùn)営中。
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