日本は中國の師?われわれの高速鉄道技術(shù)は日本のパクリなのか?―中國メディア

Record China    2020年12月9日(水) 7時(shí)20分

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7日、観察者網(wǎng)は、「われわれの高速鉄道技術(shù)は、日本のパクリなのか」とする記事を掲載した。寫真は新橋駅を通過する新幹線。

2020年12月7日、観察者網(wǎng)は、「われわれの高速鉄道技術(shù)は、日本のパクリなのか」とする記事を掲載した。以下はその概要。

11月28日、広西チワン族自治區(qū)の防城港から、インドネシアのジャカルタ―バンドン高速鉄道建設(shè)に用いるレールを乗せたタンカーが現(xiàn)地に向けて出発した。同高速鉄道は、2015年に日本との競爭に勝利した中國が受注したもので、高速鉄道に関する技術(shù)を丸ごと輸出する初めての案件となった。

ところで、日本では中國の高速鉄道が話題に上るたびに「われわれが中國に技術(shù)を教えた。中國の製品は模倣品だ」と主張する人が少なからずいる。確かに、中國が初めて高速鉄道技術(shù)を取り入れたころは、日本の経験を吸収した。しかし技術(shù)の吸収は、「完全コピー」とは違う。そして、吸収した技術(shù)も、日本だけからのものではなかった。

2004年以前、中國では安全で信頼できる高速列車の自主開発は不可能であり、建設(shè)にあたり外國からの入札を募集する必要があった。そして、日本の川崎重工、ドイツのシーメンス、フランスのアルストム、カナダのボンバルディアという世界の鉄道4大巨頭企業(yè)の経験を吸収していったが、當(dāng)時(shí)彼らが提供したのは最先端の技術(shù)ではなかった。

中國の高速鉄道は他國に比べて距離が非常に長く、地理的條件も厳しかったため、海外の技術(shù)を吸収、消化した上で自前の技術(shù)を開発し、海外よりも厳しい技術(shù)、材料、構(gòu)造の問題を克服する必要があった。そしてこれが、中國にとって高速鉄道の受注競爭で日本に勝ち、注文を取り付けることに成功する基礎(chǔ)を作っていったのだ。

1978年、中國人は初めて日本の新幹線を體験し、ため息を漏らした。數(shù)十年後、シーメンスのCEOが中國企業(yè)の列車組み立て現(xiàn)場を見て「これこそわれわれの抱いていた大きな夢だ」と感嘆した。今、一帯一路の沿線において、中國は自らの工業(yè)力をシェアし、現(xiàn)地の人びとのために橋や鉄道を建設(shè)し、彼らに切実な恩恵をもたらしているのである。(翻訳?編集/川尻

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