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「沒(méi)弁法(メイバンファー)」―この言葉は日本語(yǔ)で「仕方ない」、「どうしようもない」という意味なのだが、私が最も聞きたくない、最も嫌いな中國(guó)語(yǔ)の単語(yǔ)の一つである。(文:柳田洋)寫(xiě)真は中國(guó)の縫製工場(chǎng)。
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「沒(méi)弁法(メイバンファー)」―この言葉は日本語(yǔ)で「仕方ない」、「どうしようもない」という意味なのだが、私が最も聞きたくない、最も嫌いな中國(guó)語(yǔ)の単語(yǔ)の一つである。なぜなら、この単語(yǔ)を使う人は、自分の責(zé)任は棚に上げて、原因を全て外的要因のせいにする場(chǎng)合が多いからである。(文:柳田洋)
私は以前、ある國(guó)有企業(yè)との合弁會(huì)社を経営していたときに、その會(huì)社の董事會(huì)(取締役會(huì))でこの単語(yǔ)を連発する人を見(jiàn)たことがある。その國(guó)有企業(yè)から出向してきていた合弁會(huì)社の総経理(社長(zhǎng))だ。
當(dāng)時(shí)、この合弁會(huì)社の業(yè)績(jī)は可もなく不可もなく、若干の黒字を出しながらのんびりと経営されていた。しかし、その結(jié)果に満足がいかない私は、董事會(huì)で総経理に対して、営業(yè)強(qiáng)化による売上アップや、コストの更なる削減を求めていた。
しかし、総経理はどの要求に対しても様々なできない理由を挙げて、最終的には「沒(méi)弁法」で締めくくった。
この総経理のやる気のなさは、國(guó)有企業(yè)出身者ならではのものであると思われた。なぜなら、昔の中國(guó)の國(guó)有企業(yè)の第一義は、利益を出すことではなく、雇用を生み出すことにあったからだ。総経理からしてみれば「社員がみんな楽しく働いて、全員にきちんと給料を払えるだけ稼いでいるんだから、それで十分じゃないか」ということなのだろう。
この合弁會(huì)社は私の會(huì)社が半分以上の株を持ってはいたが、合弁相手の國(guó)有企業(yè)から業(yè)務(wù)に欠かせない免許を使わせてもらっている手前、総経理の更迭決議は合弁の解消を意味する。そこで私は、民間企業(yè)出身者を副総経理(副社長(zhǎng))として送り込んだり、優(yōu)秀な若手社員を管理職に抜擢して社內(nèi)の改革を図ったが、総経理をはじめとする國(guó)有企業(yè)出身幹部の巖盤(pán)のようなやる気のなさに阻まれ、最後まで業(yè)績(jī)が改善されることはなかった。この合弁會(huì)社は現(xiàn)在、清算手続き中である。
今の中國(guó)の各都市は、目覚ましい発展を遂げ、ものすごい勢(shì)いで変化しているが、人の心や考え方はそう簡(jiǎn)単に変わるものではない。ずっと國(guó)有企業(yè)でのんびり働いてきた人に、いきなり売上を上げろ!コストを減らせ!利益を増やせ!などと言っても、それは無(wú)理な話(huà)だ。
全ての國(guó)有企業(yè)の人たちが「沒(méi)弁法」を連発する、とは言わない。しかし、中國(guó)企業(yè)と一緒に合弁會(huì)社を作るに當(dāng)たっては、良くお付き合いをして、相手の考え方を十分に理解し、同じゴールを目指せるパートナーなのかを見(jiàn)極めた上で決斷する必要があるように思う。
■筆者プロフィール:柳田 洋
永豊有限公司 総経理
1966年?yáng)|京生まれ。早稲田大學(xué)商學(xué)部卒業(yè)後、丸紅で石炭貿(mào)易に従事。1996年より5年半にわたり丸紅北京支店に駐在するも、起業(yè)の志捨て難く、2001年丸紅を退社。そのまま北京に留まり駐在員事務(wù)所代行サービス會(huì)社を設(shè)立。その後、クロネコヤマトの海外引越代理店として物流事業(yè)を立ち上げる?,F(xiàn)在は中國(guó)での會(huì)社経営経験を生かし、中國(guó)に積極展開(kāi)しようとしている日本企業(yè)の社員を?qū)澫螭?、講演、助言などのサポート活動(dòng)を行う。著書(shū)に「起業(yè)するなら中國(guó)へ行こう!」(PHP新書(shū))。
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