<羅針盤(pán)>コロナに倒れた弟?立石義雄の無(wú)念に涙=立石信雄オムロン元會(huì)長(zhǎng)

立石信雄    2020年4月26日(日) 6時(shí)20分

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弟の立石義雄が新型コロナ感染癥で急逝、大きなショックを受けた。幼少時(shí)から共に歩んだ人生を想起し、涙が止まらなかった。寫(xiě)真は1955年、京都?鳴滝の立石家。前列右から信雄、一真、孝雄。後列左端、義雄。

4月21日未明、弟の立石義雄が新型コロナウイルス感染癥で亡くなった。私より3つ年下の80歳。これからも一緒に豊かな白秋期を歩もうと勵(lì)まし合った直後の急逝で、大きなショックを受けた。幼少時(shí)から共に歩んだ人生を想起し涙が止まらなかった。

オムロンは父の立石一真が1933年に前身の立石電機(jī)製作所を創(chuàng)業(yè)。1960年代には駅の自動(dòng)改札機(jī)を世界に先駆けて開(kāi)発、70年の大阪萬(wàn)博に向け、阪急電鉄の新駅に初めて設(shè)置された。さらに銀行ATM など時(shí)代を先取りした製品やシステムを投入した。

歐米や中國(guó)など海外展開(kāi)し、私と義雄は手を攜えて営業(yè)に出向いた。ビジネスの合間に內(nèi)外の美術(shù)館や名所を歩いたのは貴重な想い出である。

立石義雄は社長(zhǎng)時(shí)代にはオムロンを世界的企業(yè)に育て上げ、90年に「會(huì)社は創(chuàng)業(yè)家のものではない」として社名を、工場(chǎng)のあった京都?御室にちなみオムロンに変更。2003年には非創(chuàng)業(yè)家の社長(zhǎng)を初めて後継に迎えた。文字通り立石電機(jī)=オムロンの中興の祖と言っていい。

義雄の溫厚で明るい人柄は多くの方々から慕われ、京都の顔として関西を代表する経済人だった。オムロンの経営から離れた後は、今年3月まで10年以上にわたって京都商工會(huì)議所會(huì)頭を務(wù)め、地元経済の活性化に力を注いだ。われわれ家族にも気配りし、會(huì)えばにこやかに少年時(shí)代や父母のことなどの想い出に浸った。

新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに注目される體溫計(jì)など、健康機(jī)器はオムロンの主力事業(yè)の一つ。弟自身も自宅近くの京都御苑での散歩を日課とし、健康管理に気を配っていた。後任の會(huì)頭の塚本能交さん(ワコールホールディングス會(huì)長(zhǎng))と並んで退任記者會(huì)見(jiàn)をした3月24日には、新型コロナウイリスについて「企業(yè)活動(dòng)にとって大きな打撃になっている。経営者のリスクへの対応力が問(wèn)われている」と危機(jī)感を示していたが、そのコロナに倒れたことは、さぞや無(wú)念だろう。

オムロンは、多くのユーザーのご愛(ài)顧をいただいたことに加え、よき後継者と有能な社員に恵まれ、全社員が創(chuàng)業(yè)の理念を正しく継承している。ガバナンスの効いたCSR(企業(yè)の社會(huì)的責(zé)任)にも積極的に取り組む會(huì)社という評(píng)価も得て、成長(zhǎng)し続けている

立石電機(jī)?オムロントップとして奮闘中に急逝した長(zhǎng)兄?孝雄、そして三男?義雄まで突然帰らぬ人となってしまったが、父?立石一真、そして生みの母と育ての母に、この會(huì)社の発展した姿を見(jiàn)せてあげたいと思う。

弟の義雄が社長(zhǎng)に就任した時(shí)、「兄さんの弔辭は読みませんよ」と私に語(yǔ)り掛けたことがあった?!负韦皮长妊预Δ螭馈ⅳ蓼à稀工刃Δい胜榉丹工?、「長(zhǎng)生きしてくださいね」と言った。義雄らしい憎まれ口だったが、優(yōu)しさの裏返し表現(xiàn)だった。私が殘されその通りになってしまった。

父?立石一真は「最もよく人を幸福(しあわせ)にする人、最もよく幸福になる」という言葉を殘した。私も義雄も、この言葉をかみしめ、「人の幸せをわが喜びとする」という信條を?qū)g踐してきた。弟は「人の幸せづくりをする素?cái)长噬饯颏筏郡ぁ工趣いΔ韦隈堡坤盲俊¥饯窝匀~通りに実踐し、人生を私より速く駆け抜けた。

(羅針盤(pán)篇55)

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機(jī)販売に入社。1965年立石電機(jī)(現(xiàn)オムロン株式會(huì)社)取締役。1995年代表取締役會(huì)長(zhǎng)。2003年相談役。 日本経団連?國(guó)際労働委員長(zhǎng)、海外事業(yè)活動(dòng)関連協(xié)議會(huì)(CBCC)會(huì)長(zhǎng)など歴任。SAM「The Taylor Key Award」受賞。同志社大名譽(yù)文化博士。中國(guó)?北京大、南開(kāi)大、上海交通大、復(fù)旦大などの顧問(wèn)教授や顧問(wèn)を務(wù)めている。SAM(日本経営近代化協(xié)會(huì))名譽(yù)會(huì)長(zhǎng)。エッセイスト。

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機(jī)販売に入社。1965年立石電機(jī)(現(xiàn)オムロン株式會(huì)社)取締役。1995年代表取締役會(huì)長(zhǎng)。2003年相談役。 日本経団連?國(guó)際労働委員長(zhǎng)、海外事業(yè)活動(dòng)関連協(xié)議會(huì)(CBCC)會(huì)長(zhǎng)など歴任?!弗蕙庭弗幞螗趣?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=ノーベル賞'>ノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名譽(yù)文化博士。中國(guó)?北京大、南開(kāi)大、上海交通大、復(fù)旦大などの顧問(wèn)教授や顧問(wèn)を務(wù)めている。SAM(日本経営近代化協(xié)會(huì))名譽(yù)會(huì)長(zhǎng)。エッセイスト。

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