〈一帯一路実踐談17〉1982年各種寄付開始、皆の喜び私の喜び

小島康譽    2020年5月16日(土) 16時0分

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今回はキジル千仏洞修復(fù)保存協(xié)力や日中共同ダンダンウイリク遺跡學(xué)術(shù)調(diào)査のきっかけとなった寄付を紹介したい。寫真は新疆仏教協(xié)會仮設(shè)寺院へ喜捨。

2013年9月、習(xí)近平國家主席はカザフスタンで「シルクロード経済帯」構(gòu)想を、10月にはインドネシアで「21世紀海上シルクロード」構(gòu)想を提唱した。合わせて「一帯一路」である?!敢粠∫宦贰工辖U済の道、政治の道であると同時に文化の道、國際協(xié)力の道でもある。筆者は「シルクロード経済帯」の要衝である新疆で各種の國際協(xié)力を?qū)g踐してきた。

後日「世界遺産」となったキジル千仏洞修復(fù)保存協(xié)力や「中國の國寶中の國寶」を発掘した日中共同ニヤ遺跡學(xué)術(shù)調(diào)査?法隆寺壁畫の源流壁畫を発掘し保護した日中共同ダンダンウイリク遺跡學(xué)術(shù)調(diào)査はすでに紹介した。今回はこれらのきっかけとなった寄付を紹介したい。

新疆ウイグル自治區(qū)成立40周年を祝し贈呈)

1972年10月、國交正?;贬幛沃袊蛟L問し、寶石などの買い付けを始めた。1982年6月、寶石を求めて新疆を訪れた。宿泊先の新疆迎賓館へ工蕓品公司に伴われて王子鈍居士(故人)が訪ねてきた。達磨大師を描いた書畫を頂き、「新疆で途絶えた仏教を興隆させるために、內(nèi)地から來た漢族などと、仮設(shè)寺院で細々と勤行している。支援して」と。手持ち金を渡した。これが新疆への寄付の始まりであった。再訪すると、モンゴル族の夏立瓦活仏と來訪。両氏の「二人が中心になって新疆仏教協(xié)會を設(shè)立する。是非、仮設(shè)寺院に來て欲しい」に応じて訪れ、喜捨した。

その後も、改水項目?ホータン&ミンフゥン&チラ博物館建設(shè)?政府機関FAX機器?新疆文物考古研究所エレベーター?ウルムチ&ホータン福祉施設(shè)各種物品?新疆図書館図書購入?新疆日報撮影機材&パソコン設(shè)備?カパクアスカン村各種物品?大學(xué)研究項目?農(nóng)業(yè)用井戸掘削?街路燈設(shè)置?小學(xué)校&幼稚園修理?小型沙漠車など多岐にわたって、寄付してきた。四川地震義捐金は友人らと提供した。冒頭の寺院は彼らの努力で方々から喜捨が集まり、また漢族の増加もあり、今では立派な伽藍を誇っている。

(アクス地區(qū)の寒村に農(nóng)業(yè)用井戸を掘削)

最近では「新型コロナウイルス感染癥」流行時に醫(yī)療用マスク1萬枚を新疆政府外事弁公室へ寄贈した。このような多數(shù)の寄付から筆者を金持ちと思われる方もおられようが、給料や退職金の殆どを注ぎ込んだ。年金生活の今は僅かな株なども売卻し「爪に火を點すような」生活の中からひねり出している。その目的は民生向上である。人々の喜びは私の喜び。

中國政府は貧しい家庭を無くす「小康社會」(少しゆとりある社會)を一大政策に掲げている。筆者の名前を短縮すると「小康」、これも縁であろう。

■筆者プロフィール:小島康譽


浄土宗僧侶?佛教大學(xué)內(nèi)ニヤ遺跡學(xué)術(shù)研究機構(gòu)代表?新疆ウイグル自治區(qū)政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種國際協(xié)力を?qū)g施中の日中理解実踐家。
ブログ「國獻男子ほんわか日記」
<新疆は良いところ>小島康譽 挨拶―<新疆是個好地方>
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